月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

4月 こーゆー旅

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「こーゆー旅」文・表紙・イラスト 夏萩しま

 

  1910

 

「ふぁーーーっあ〜」まずは伸びをして、マットレスにダイブ!しばし息止め。そして「来たぞぉ〜」と叫ぶ。26年ぶりのチェックイン、冷たいシーツ、鏡の前に好きなものを並べて。誰のか知らない額絵(多分プリント)と、窓枠が見切れる感じで一枚写真を撮る。これは、自分がこの風景を忘れそうになったとき用の小さな証拠写真で、けれどきっともう見ることはない。だって私はこの旅を終わらせる気はないし、いつまでも続く旅の中で、いちいち思い出している暇などないから。


 セーフティゲート付きのフロア、カードキー、しばらく出掛けていないうちに新しいシステムが採用されていた。フロントの女の子は本当にほんの女の子だが、使い方を流暢に説明してくれる。私は外国語の歌を聴いているように、時々うなづいては、ハイ、と何訛りかわからない合いの手を入れる。さっぱり把握できていないことは伝わっているだろう、ちょっと内心ウケていた。かなり早く着いてしまったが丁寧に案内され、ミドルフロアの一番上へと、つまり隔離された訳だ。この数日のうちに私が伝染病を発症しても、接触したのはまだ3人という訳だ。例え話だが。
 私は帰国した翌日から40°を超える熱と4日間付き合い、その後あれこれ面倒な調査書を束ねてサインし、12時間点滴を2個も追加でサービスしてもらって、病名は不明のため不問とされ、やっと世間に戻って来たことがある。思い当たるのは露店で真っ黒になった苺を食べたことだけ。医師も笑っていた。あのとき生還したのは、その後の人生がまだ用意されていたからだ。そんなことを急激に思い出させた。
 そう、その昔、私は旅をしていた。「旅行」ではなく「旅」をしていたのだ。自分で考え、感じて、自分の足で歩き時に踏みとどまり、まあ何というか、生きて活きていたんですね。こうして言葉にすると当たり前のことなのに、旅にわざわざ出ないと当たり前のことができなくなっているのが、おかしいのではないか?ずいぶん馬鹿になってしまってから気づいて、こうしてまた旅に出てみようとするところまで、人として回復してきたところな訳です。


 世の中には(おっと大きく出ましたが)つまり私にとっては、失敗とか悪いことというのは存在しなくて、すべては学びの種であり次へのこなすべき(つまりできて当たり前の)課題。逆に成功とか良いことというのはそこまで来れた自分へのご褒美なので、素直にありがとうと思うだけです。自慢とか自信の材料ではないです、ほんと。
 私はいつも私の名に込められた長く煌めく生命力と、私の体の中心に埋め込まれた輝きと温もりとを、一生をかけて使い尽くすことが真っ当な生き方だと思っている。こう思えるところまで元気を取り戻した私は、こうして私に必要なものを見つけにまずは少しだけ旅に出ます。よく知らない通りを散歩して、自分の部屋のカードキーを持って、深呼吸してから自動ドアの前に立つ。まずはここから。

 

 はい〜、大幅に遅れて帰室です。恐る恐る使ったカードキーは正常に機能して、無事に自分の部屋の中、ひと安心。頼まなくても綺麗に片付けられていて、小瓶の液体もいちいち同じ高さに揃えられ、使いさしのは私の存在を尊重してそのままの位置にどやどやと並んでいる。この心地よさ!つけっぱなしだったエアコンは、ずっとつけっぱなしだったのかは知らないが、忠実に同じ設定で少し低めのままだった。この心地よさ!よしよしそれでは、遅くなった理由のひとつ、トンカツサンドイッチ2個をまずは安全なデスク中央にビニル袋ごと置く。さっきまでカバンの中で少し傾いていたのは知っているが、丁寧に水平に置く。美味しそうに置いとくことが大事。そして遅くなったもうひとつの理由の、黄色いチューリップの花束を過剰な包装から解き放ち、ぱさりと鏡の前に放り出す。これはそっと置くと失敗するので、さも「こんなもの」という手の抜き具合で。叩きつけないように気をつけつつ何げに置く。するとチューリップが「あぁ楽になった」と笑う。そこを一枚、写真に撮っておく。室温と乾燥ででどんどん開いてしまうので、この解き始めた瞬間は貴重です。
 そして遅くなった最後の理由は、心がずっとそちらへ行くのを待っていたから。つまり、なんかピンと来なかったのよね、ということ。これはとても大事で今回の旅のキモでもある。私が私であることを最重要視すると、これまでの判断基準に自分自身で縛られないようにする必要がある。時間が過ぎようと予定の用事(⁉︎)ができなかろうと心が感じるのをひたすら待つという、時間と体力の無駄遣いと金銭の大盤振る舞いがまかり通らなければならないのだ。ならないのだってより、そうなっちゃうのです。「用事」はそもそも組み込んではならないのであるね。

 バスタブに湯を溜めながら何もしないでいる。ちょっと落ち着かない、というのは修行が足りん、ので、まあ、お茶でも飲もうか。こうやって書いててもちょっと上の空で、途中っぽいけど、サンドイッチを食べようと思います、今そう思ったから。お腹が空いた気がする、この、気がするというのが大切なのですね。

 

 

 

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 満開のチューリップをスケッチ。備え付けのインスタントコーヒーを、備え付けのポットで沸かした湯を少なめで溶かす。苦み走った良いインスタントコーヒーになります。備え付けのエアコンの音が時々、タラッタラッと鳴るのにも慣れた。備え付けのデスクのご都合主義的にカーブしたほどほどの曲線が、チューリップの花の並び具合の曲線と好相性。果物やワインボトル、パスポートケースのまるい角(?)など、みんな何となく丸い感じで一体感があるように感じ始めた。コーヒーカップを横に置くと、規格品なのにゆるく、まるさが同じに見えてくるから人間の目は適当なもんだ。
 海へ行ったとき以来の、ロンジーを着て過ごす時間は心から私らしいと思う。素足に草履を履いて、八重咲チューリップに似た形のTシャツを合わせて。どうしようもなく外には出られない格好だが、太陽の下にいる感じがする。青いペンで青空や海を想うように、チューリップの花の輪郭をなぞっていた。なみなみの線をたくさん描いている間、他のことが浮かばなかった。何にもしないということをするのは難しい。考え過ぎないで感じてだけいるというのが、できることの中で一番近いのかな。思ったことが気持ちと合っているかどうかだけを見極めて、ひとつだけ動く。こうしているときが案外、考えていない。

 


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 雲ひとつない空に薄くカーテンを引いて、空調の効いた部屋で延々と文字や絵を描いている。贅沢な時間だ。好きなものに囲まれた自分、生きているものたちと一緒にここに居たいという願望。アフリカのシュナンブランを選んできたのも、生花を束ねてきたのも、まるごと日向を連れてきたかったのかもしれない、という証拠になってしまった。
 行ったこともないのに、アフリカ大陸の端っこから漂う野生の香り、文化の入り乱れる中東の生命力を、この体に入れたいと願っていた。ただ見るだけでもいい、できるなら齧り付きよく噛んで飲み下す。いつか私の一部になって私を動かして欲しい。あの苺もそんなことのシンボルだったかと思う。ものをよく見もせずに直感でさらさらとイメージに定着させてしまうのは、私がちょっとばかりお絵描きが得意で、線や色が指先のすぐそばから自然に形になっていくからだ。正確に(?)描くのは苦手だが、そこに臨んでどんな気持ちだったかは描いたものを見ればいつでも立ち上ってくる。私の中を通ってまた現れるものは、正誤ではなくひとつの真実なのだと思う。
 バスタブに湯が溜まり過ぎてもセンサーで湯は止まる。構わず、ざぶんと浸かると、私のせいで過剰になった分は溢れて流れ去った。代わりに私の中にあった冷たい塊のような緊張感が、みるみる温い流動体になり、私を宥めすかすようにあたりと一体化してゆく。初めからここに居たように、私はひとつの温もりになる。簡単に骨抜きにされてしまい「上がったら冷たいビールを飲みたいな」ということしか思いつかなくなったので、すぐに冷蔵庫を確認しにゆく。リーディンググラスをかけるとネジが片方緩んでいた。ビールを選んで缶の冷たさを味わいながら、リーディンググラスのネジは斜めになっていて逆にすぐには外れないとわかると、木彫りのキリンのメガネ置きにかけさせてやった。「すぐにしなくていい、全部しなくていい、違うことをしていい」いつもの呪文を一回だけ唱えて、飲み物に戻る。
 チューリップは清潔な香りしかしない。力強く開いたはずが、生きた花の香りではなかった。美しすぎるということは何かを失っている。束ねられるということは他との調和が優先されるのかもしれない。私は見知らぬ入浴剤の香りに包まれて、それを発しているのが自分自身であることに少し失望して、少し満足した。チューリップたちと私は表面だけでしか知り合えない違う星の生き物なのだろうと了解した。
 チェックインした日はまだ緊張していたと思う。初めての街、初めての客室。客室乗務員(?)がいないとカードキーの扱いも不安だった。誰にも邪魔されない空間でだらだらと食べ、横になり、ペンを弄んで、それでも「リラックスしなきゃ」と力んでいた。せっかくのこの時間を「何か好きなことで埋めなきゃ」と焦っていたと思う。しかし昨日、花束を抱えて訪れた同じ部屋は、私に対して「ウェルカム」以上の「お帰りなさい」に満ちていた。柔らかく広がる静けさだった。どちらからともなく歩み寄った優しい肌触りの大きな動物のように私を迎えた。冷たいシーツは懐かしかった。きれいに並べ直されたアメニティ、さりげなく取り去られていた小さなゴミ、補充されたボトルたち。当たり前のように、正確に繰り返されている心尽くしが、私だけのために行われている一室。ここでは何でも(どんな失敗も、少しの達成感も)次の日にはクリアーされている。
 今日行けなかったパスポートの受け取りに、明日こそは行こう、できれば。きっとその方が私は気分が良くなるし、またここへ帰って来て、中を開いてみたりパスポートケースに入れてみたりして喜ぶと思うから。
 ぶち割ったテリーズのチョコの濃い塊を噛み砕きながら、強いオレンジの香りにむせる。片面だけレリーフになったオレンジの小房の形状を舌で感じながら、インスタントコーヒーの準備をする、苦み走った良いやつを。濃厚なものと何もないものと私は両方が好きで、いつもあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。真ん中辺はいらないかもしれない。
 部屋の中にいても光の感じが変わって、そろそろ午前から午後に移るのが分かる。昼少し前あたりから翌日のスケジュールを調整し始める。荷物をできるだけ減らして、予定をできるだけ先へ送って、今日から明日だけをぽっかりと「何をしても良い日」にするため、あれこれ工夫する。この作業はとても楽しいものだから、勢い、本当に何も無しにしてしまう。ここで不安はない。どうせ何かやりたくなるのでまたスケジュールは埋まってしまう、この手続きが大切なのだ、と断言する。自分に対して断言することによって安心するのです。

 

 

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 昼過ぎても運んで来てくれるコンチネンタルブレックファスト(?)をルームサービスしてもらう。とてもとても贅沢な遅い朝ごはん。さっくりと軽くトーストされたパンに、香りの良いバターを乗せる、半溶け。そもそもこのパンは真っ白いナフキンに包まれて、はるばる19階までやって来た。その温かさとさっくり感とをかろうじてとどめて、この部屋までやって来たのである。何を置いてもまずはひとくち、ことさらにさくっと音を立てながら。
 お供のグレープフルーツジュースはロンググラスに水滴をまとって、四角い氷がジグザグに4個縦に並んでいる。美味しいパターンだ、早く飲みたい。ストローを紙袋から引っ張り出す。あ、、、しましま模様だ。これは東南アジアの屋台でビニル袋入りのちゅるちゅるゼリーにすこっと刺さっている、アレだ。早く飲まないとくるくると解けてしまうチープな作りのあの可愛らしいやつだ。何故にここに?私はできるだけ短時間だけストローを漬けてジュースを飲み干すと、とにかく先にストローを洗ってタオルの上に置き空調の効いた壁際に置いた。お土産のお持ち帰り決定。こんな感じで思ったより慌ただしいモーニングを済ませた。高級なんだか安っぽいんだか混じっているけれど、とにかく私のテイストに合う様々なことが発生するのは良いことだ。こうして、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているまま、旅は続く。

 

 

 

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 くったりしてきたチューリップを短く切って、よっつのグラスに活ける。しばらくすると、すっくと顔を上げ、ちょっとだらしないくらいに花びらを開く。細い首にどんなエフェクトがかかるのか、重たい花を持ち上げてチューリップらしい背高のっぽに戻る。昼に2人前のビフカツをつまみながらシュナンブランをちびちびやっている間も、どんどん姿勢良くなってゆく。全く気概のある花だと恐れ入る。私はお腹がよくなって、今夜は抜きにしようかどうか考えながら空を見ていた。
 少し散策することにする。旅に出ると誰かにお土産を買いたくなるもので、大抵は自分用に(つまり帰ってから日常生活を暮らす自分のために)少々値は張ってもエキゾチックなものや、胡散臭いものを買いたくなってしまう。何かないかなとなんとなく歩いていると、旅に出るともうひとつ、誰かに絵葉書を出したくなるよなぁと思いつく。これも大抵はお気に入りの中でも一番お気に入りのカードを迷うことなく自分宛に(つまり帰ってから日常生活を暮らし始める自分のために)さも旅先の知人のふりをしてそっけなく書くのだ。お土産、お土産、絵葉書、絵葉書、、、とテレパシーを送っていると、今回の旅は当たりです。胡散臭い、手作りっぽい、可愛いものを売っている人を見つけた。取り憑かれたように正確な線を描き出すそのポイントペンは、私にも気心の知れた0.01㎜の黒だ。寸分の迷いもなくラインを引く集中力に、しばらく私は放置されたていた。勝手に色々とめくってみたりしているうちに、ほどよいポストカードとひと捻りある塗り絵絵本を見つけることができたから、ちょうどいい。これを未来の私に届けたい、きっと喜ぶだろう。そして、ぷらぷらしているうちに出会えた物だという記憶で、自分の旅力もまだまだいけると思うに違いない。そうだ、切手も買わなくちゃ。ちょっと変わったやつで、この旅のテーマにあったやつを手に入れよう。こういうところは手が抜けません、何でもいいとかいう奴とは付き合わないのだ。そんな考え方の自分とは仲良くひとつでいられない。
 郵便局のカウンターで粘って「地方のうまいもの」というこの場とは何も関係ないシートを選ぶ。何も響いてないということではなくて、どうにも気になる絵柄がひとつ目について、もうそれ以外が入ってこなくなったのだ。そして、郵便局のカウンターで選びに選んだというストーリーが加算されたのである。いいでしょ。今ここにいる私と、受け取る未来の私は、同じイメージを共有することになる。それは未来の私が、旅に出ていたときの鮮烈な私の感覚をいつでも確認できるということだ。私と、私の周りをどんなときも別行動可能にしておく、そうなるように仕掛けを作って送り込むことが、旅の楽しさでもある。ついつい歩き回りすぎ疲れてしまう理由でもあって、本当はちょっとやり過ぎ気味なんだろう、誰も止めてくれないので。しかし、止めてくれるような人とはそもそも一緒にいかないし、本当のところ一人旅に出る率100%なのだ。
 今のところ出番のないバケットハットは、エメラルドグリーンでシロクマ柄なのだが、「そんなのやめとけよ」と言ってくれる人を連れていないので、今から被って、また出かけるところなんですよね。雨が降りそうだけど、わざと傘を置いて。何でもない顔の上に、このハットを載せている頭がたまたまあるだけ、そうでしょ?みなさん。本当は誰にも聞いていない、そうだよね?私。そして必要でもないのに先に買ったパスポートケースに入った新しいパスポートを携えて、出かける。

 

 

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 今夜から明日いっぱいは雨の予報。最終日へかけてどんどん激しくなるらしい。私の気持ちは逆にあれこれ思いついてむしろ弾んでくる。この一度きりの日が雨になる、晴れのときは目も向けないような事柄が次々とクローズアップされて来る。雨が好きな私にとって、何もかも意外性にリードされてゆくことが楽しい。窓の外がよく見えるようにレースのカーテンだけを通して眺める斜め下の街は、みるみる暮れてゆく春先のオレンジミルク色の曇った夕方だ。ビルの窓はきっといつも通り規則正しく灯っているのだろう。正方形のマス目がxy、nm2と無限の組み合わせを持ち、直方体の紙の箱に収まってスイッチオンしてもらうのを待っている。それらはいつのまに点灯したのか、柔らかなグラデーションを作ってパープル系からオレンジ系に浮かび上がる。暖かい温かい色の連なりは、そこに人がいることを思い出させる。
 そのうち、窓を叩く雨音で気づくだろう、カーテンの向こうは煙っていて、窓ガラスに驚くほど長い楕円形の雫が、遠くて近い灯りを滲ませているだろう。雨を待つ気持ちは、いつも穏やかでとても甘い。


 あまりに腹一杯で白ワインがたぷたぷしている。いつになく多めに飲んだ。結局、ドラマチックな雨の降り始めには気づかず、冷たいシーツに潜んでクッションの位置を探っているうちに寝落ちてしまった。少し開けたカーテンの間から大人しく霧雨に沈むビル群が見えた。静かな雨なんだなと思った。朝はまだ少し暗かったが、備え付けのポットの水量を確かめてスイッチを入れ、カーテンを全開にする。控えめな雨の朝のグレースケールが重なって続いていた。花に嵐となるのは午後からか。
 パコっという音で右手の横から沸騰の合図を送ってきた、苦み走った良いインスタントコーヒーを淹れよう。少し重い目覚めだが後数時間は自由だ。コーヒーを一口飲んで、ゆっくりと頭が回り始める。
「何しよっかなー」
わざと声に出して、まずはシーツに転がる、しばらく何もしない。あとでシャワーを浴びよう、今日はずっと雨だ。 

 

 

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 青いインクのペンで雨のようなひとつながりの線を描く。やっと咲き始めた桜はまだ開ききっていないから、雨に打たれても散ることなくひと休みしていることだろう。スモーキーな薄紅の花びらを、今日のこの空に溶かして一体となっているのだろう。傘をさして観に行ってもいいが、部屋に籠って雨粒をまとった花を想うのもいい。どちらにしても桜に心奪われている間、私の中には桜しかない。

 色々思い巡らせているうちにも、少しずつ開いていたり閉じていたりするのだろうが、そんな様子を思い浮かべてみるのも良い。日々変化してゆくもの、どの場面でも美しさを持っているもの、微かにそこに何か通じ合えるもの、そして季節のあわいですぐにその姿が失われるもの。そんなものを集めては記憶遺産を形成しつつ、私はご機嫌に暮らしている。やはりモノそのものよりも、それにまつわるコト、手触りの印象やストーリーに心惹かれる。こだわりは強い。しかし、今回の旅がなぜフィジカルに動き始めたのかというところが、なかなか面白いところで、私自身が進化して新しい手段を手に入れたいと望んだからかも知れない。そしてそれは案外うまくいっている。
 何事もそうなのかも知れないが、準備段階では自分の想像を超えない。ファーストインプレッションで自分に食い込んできたそのときから、初めてその事柄は自分との共犯関係になる。とても相性が良い場合は、予測を遥かに超えるファンタジーが自走し始める。そのときは乗り遅れてはならない。少しだけ背伸びして両手でがっしりと掴み取り、ただひたすら信じるのだ。物語の中で龍のイメージで描かれているものに似たそれは、桁外れの運動能力で私を振り払おうとするが、こっちが本気なのをみると一転して、掴まり易い鱗の部分を積極的に差し出して一体になろうとする。言葉に寄らない一致が生まれる瞬間だ。その行き先を知らない私と龍だが、それでも旅立ちたい思いでひとつになっている。
 話は簡単だ。今日みたいな曇り空の朝、重なる雲の襞の中に、不思議に心惹かれる曲線が見つかるのをぼんやり眺めていれば良い。明らかに雲とは違う、ちょっとお行儀の悪いライン、尻尾で水面をタップするような動きを見つけたら、荷物を待ってフロントへ急ぎチェックアウトを告げる。今終わろうとしている旅の続きに、車寄せには新顔の龍が待っているのだ。そいつはちょっとばかり鼻息が荒く、それでも精一杯エレガントに私が近づくまでじっとしている。トランクをベルボーイに預けて後部座席の足元に嵌め込んでもらい、優雅に会釈をしながら私はトランクに並んで腰掛ける。
「どちらへ参りましょう」
無言で龍の呼吸を確かめていた私に、遠慮がちにドライバーが尋ねたときも、エンジンはドゥドゥドゥドゥとスタンバイしている。私は人間にだけ通じる言葉で行き先を告げた。シートに深く背を付け「旅は終わらない」とまた思ったとき、薄々期待していた通り、未来の乗り物は訳知り顔に進み始める。これはひとつの旅の終わりだけれど、次の旅へとなめらかに接続されている。きらきら光る長い長い胴体をくねらせて、今朝見つけたイメージ通りに、乗り物は龍の呼吸をしている。昨日まで来た道とは違う方向へと今日が始まっていた。グラスに活けたチューリップは置いてきた。私にはもう充分だった。次の誰かから「あら」と思ってもらえたら花として真っ当できるだろう。


 窓に張り付く水滴の間に間に、薄墨色の桜は明るい層を成す空の曇りと滲み合い、今だけのスペクタクルを繰り広げている。あぁ今年も桜が見れた、そう、今年の桜を今年も見れたのだ。豪雨に弾き飛ばされ、上下からの水飛沫の総攻撃に追い立てられながら進んでゆくのは、いかにも勇ましいようでいて実はなすがままにされているだけだ。何も考えていない、物事は自然の成り行きに流れてゆく。雨も、花も、私自身も。自分でロックを解除すれば柔らかな流体でいられるのだ。

 ロック解除は簡単だった。あっけないほどに、カードキーをコンマ1秒入れてすぐに抜き取るという動作だけで、鉄壁の高質硬化ガラスのドアがヒラケゴマ的にオープンする。そのときぼんやりして開いたことにびっくりしている間にまた閉まってしまうので、もう少しよく観察するためにまたカードキーを入れてみて、1秒後に抜き取ると、ドアは初めてのように何の嫌味もなく「いらっしゃいませ」と開くのである。「とても控えめで良い子だ」とうなづいているとまた閉まってしまうので、今度こそはとカードキーを入れて抜き取る前にドアの前に一歩近づく。そして閉まる前にすんなりと通り抜け、背後で閉じるガラスドアの、ヴィーンというスターウォーズぽい効果音(?)を聞くことができた。これだけでアトラクションの分は元が取れているぞと楽しくなったのだ。(他の客がいないときでよかった)そしてそれももう、何日も前のことだと、遠い気持ちで思った。
 様々な事柄を曖昧に混ぜ込んでしまう雨のおかげで、場所や時間は判然としなくなってゆく。次に到着する場所でトランクを開けたら、先ほどまでいたはずの場所の香りが僅かに溢れ出て、気づかないうちに新しい場所の空気が同じだけ充当される。その一瞬に、この旅の終わりと次の旅の始まりがかろうじて接する。それはとても儚い花々の命よりももっと少量の、感情のない真空地帯となって名残の端っこで眠りに落ちて終わる。もどかしくもお手上げな状態をそれでも愛しく想う自分に、少し楽しくなる。
 ここはどのあたりだろう。迷子になってみるのも良い。どこにいても同じことだ。まずは眺めてみて、歩いてみるしかないのだ。ましてやこんな雨ならば、車のシートに大人しく座って運んで貰えば良い。あまりの水滴の多さに、丸い粒々で表現された風景はデザインされたキッチュな作品だ。それも定期的に大きな水跳ねでオールクリアーされてしまう。激しい滝の中を斜めに渡っている龍の腹の中で、いよいよ気合を込めた翼が拡げられるのを眺めていた。
「ああ、いいですよ、どこへでも、本当に私もそうしたいので」
テレパシーでそう伝えて、今がすでに空高く雨雲の中にいるなら本当にいいのにと考えていた。水陸空スリーウェイのシートにしっかりと背中をつけて、境目の無くなってゆく窓の外が斜めにかしいでゆくのを、とても気に入ったファブリックを見つめるようにいつまでも半目で追っていた。

 


 玄関でごそごそしている間も、重なり合ったジャスミンの花の香りが重たく浮かんでいた。濡らしてしまったコートを掛け、向きを変えてしゃがみ直すと、一緒に旅を歩いた靴の手入れを始める。雨で情けなくなってはいるが、丁寧に水を吸い取って汚れを調べると、すぐにまたきれいになりそうだと安心する。
 コトッと控えめな音で郵便が落ちてくる。靴の横に斜めに引っかかったカードは、見覚えのある字で書かれたちょっとしたイタズラで、読まなくても知っている文章だが、ことさら新鮮な気持ちで目を通す。今回は私の方が先に帰宅して受け取れた旅の記念品だ。と、ニヤリとしてから、このさっきから盛大にラブコールを送ってくる花に会いにゆく。少しだけ水をやって、枯れた花をいくつか取ってやると、満面の笑みで「久しぶり」と応えてくる。たくさんの香りを吸い込んで少しくらくらする。パキラにも水をやろうとしたがまだ必要ではなかった。葉っぱを撫でてやると、みんなそれぞれの場所でくるくると手を振った。うちの植物たちはあまり細かく世話をしなくていい、とても良い子たちなのだ。

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 さてと。、、ざっくり電子マネーの残高を見てから、今回の賢いお買い物のおかげで浮いた分を、記念品の購入に当てよう。つまり今回の旅の予算は今回の旅で消化するのだ。出かけることができた自分にご褒美と、次の旅へのパートナーを選ぶ。以前から気になっていた街中で映えるようなご婦人用の腕時計、ワイルドな旅のパートナーとしては相応しくないようなエレガントなやつを、ポチる。来週までに私の手首にぴったりの、リザードオクタゴンが届くだろう。素敵なカードと一緒に。

 


 では行ってきますよ、19:10だ。

p.s.ポストカードもきれいに塗れました、時計も手首の内側に収まって武具のように頼もしい。そんなことに役立つ場面が来てしまうのかと思うとちょっと面白くなりそうで、一緒の旅を楽しんでみようと思います。私が出かけたあと果物やらパンやらが届いたら、分け合ってください。いつくるかは分からないので任せます。さて、このリザードで巻き付いたオクタゴンがどれほど律儀なスイス製か知らないけど、だからと言って私がいつもより正確に帰ってくるとは思えないので、じゃあ何のための時計なんだよっていうと、携帯をついつい見てしまわないで、純粋に時刻と時間とトカゲの最中を見るためです。役に立つとかではない。時計をした私が旅に出るのは、帽子を被った私が旅に出るのとも、スニーカーを履いて私が旅に出るのとも全く同じで、私が旅に出ること自体に大きな変化は望めません、よね。願わくは皆さん、私のことを覚えているうちに帰ってきたら、
「帰ってきやがった」と鼻で笑ってください。早朝だろうと深夜だろうと、これからフライドエッグの真ん中の黄色に吸い付くとこだ‼︎とかいう、相変わらず間の悪い私だとしても、それが私です。じゃね。