月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

6月 Sole mio

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Sole mio」文/ 夏萩しま 表紙/ Aruzak-Nezon

 


 シシリーは余命半年と言われ続けて、20年になる。治るわけでもなく悪化するわけでもなく、ドクターも首を傾げ続けて20年経つ。診察室から出るときはいつものように
「生きてたら二週間後にまた来るわね、ヤブ医者先生もお達者で」
と、化粧っ気はないが元気そうな笑顔で、慇懃無礼に帰ってゆく。そして今日は、海へ行く日なので、冷やした飲み物やらサンダルやらの入ったバスケットを掴んで大通りへ出る。今日もちょうどいい天気に、目を細める。
 ティトは、もう長いこと左足が動かない。でもマイカーを操ってどこへでも出かける。差し当たって何も不自由がない。靴下を履くときだけは近くの椅子に掛けて、両手で引き寄せた左脚に右の足首を乗せてから靴下を履く。左足に履くときは、左足首を両手で持って右脚に乗せながら履く。細身のパンツを履くときも時間をかけて左脚から履く。問題なし。今日は海へ行く日なので、髭を剃って、新しい白いシャツを着て、左手首の日焼け跡には、日本製のトロフィーウォッチを巻き付ける。シャツと同系色を選んだ。バスタオルやらビーチパラソルやらをトランクに積んで、ボルボを発進する。今日もちょうどいい天気に、目を細める。
 シシリーはバスを降りて浜辺に向かう。シミだらけの腕に軽々とバスケットを下げ、ピンクに塗ったペディキュアの爪先を砂に突っ込んで、気持ちよさそうに歩いてゆく。もう片方のシワがよった手で、大袈裟なサングラスと風に煽られた麦わら帽子を、交互に押さえる。ゆったりと背筋を伸ばして進む姿は、とても余命を宣告された73歳のご婦人とは見えない。
「ティト!なんで先に来てんのよ」
明るい声をあげて小走りになる。砂粒が浜風に乗り、野生の動物が立てる砂埃のように舞い上がる。
 ビーチパラソルを突き刺して顔を上げると、砂埃を立てて凶暴な奴がこっちへ来るのが見えた。
「相変わらず、お元気そうですな」
思わず笑顔で独り言が漏れる。くっきりと濃いビーチパラソルの黒色の中で、爽やかな白シャツと長く伸びた銀髪が揺れている。腕時計のエッジが一瞬光って、ヘリオグラフのように応えた。80歳近いおじいさんとしてはキレのいい身ごなしだ。笑いが止まらないというゼスチュアと共に、風の通るビーチパラソルの下へ、シシリーを迎え入れる。
 いつもの和やかな会話、何も言わずに海を眺める時間、2度ほどは波打ち際に沿って手を繋いで歩く習慣。ティトは手を引かれているとは見えないように、必ず右手を繋いで少し前を歩く。砂浜に立って波を迎えるとき、まだ冷たい波が足の裏の砂を一気に崩してゆく感覚を、不安定でくすぐったく思う。このときだけなぜか、ティトの左足も同じように感じている気がする。シシリーは、時折り魚が跳ねたり群れてターンしたりするのを見つけては、指差して笑う。
 今日は午前中少し雨が降った。今は雲がだんだん遠のいて日差しがある。シシリーは雨女だと言う。楽しみな日には必ず雨が降るらしい。ティトは晴れ男だ。昼までには必ず雨が上がる。二人は真反対で、そしてひとつでもある。二人がいると虹を見ることか多い。
「虹は雨と太陽とがどちらもあって作り出すものだから、私たちと同じね」
ティトはその考え方を気に入った。雨の日はシシリーを想った。太陽を感じる間、シシリーの胸の中にはティトがいた。お互いにもういい歳だから、何があっても仕方ないと言う話になっても、いつも二人とも、雨や太陽を感じるようにお互いがそばにいると感じているから、安心している、何も変わらないと話す。
 シーズン前とはいえ浜辺はもう紫外線が強いので、疲れないうちに早めに引き上げる。そしてまた次の機会に、同じように過ごす。とても若かった頃からそうしているように、同じように過ごすのだ。

 

 

SOLE MIO(私の太陽)」
      詩 Aruzak-Nezon

セレモニーは行かないよって
海で酒飲んでるさ uh...
セレモニーは来ないでねっても
いつもと変わらず笑っていて

ふりそそぐ 陽射しになってくれるはず
ふりそそぐ 私は雨になるよ
生きてた時よりずっと自由に
ずっと近く 寄り添う

姿が見えなくても きっと肌でわかる
深く染み渡ってその時ひとつになれるね

確認しあえた 言葉でなく
約束したんだと思うよ 
お天気雨のように

何も遺さない なくてもわかるし
いつまでも何があっても変わらない
いつかまた会えても
このままずっと会えなくても 
変わらない

温もり感じるほど近くにいても
地球の反対側にいても
朝はきっと笑ってるよ
SOLE MIO(私の太陽)

 

 

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文・写真 Aruzak-Nezon

 

 短いフィルムのエンドロールで、シシリーとティトの2人が「SOLE MIO(私の太陽)」という詩を朗読している。波や風の音がマイクに入りすぎたり、時折り噛んでしまって笑いながら言い直すところも、自然体の2人として全部収録されている。何よりテイク2などない、愉快に生きた2人が、永遠の魂で人生を楽しんだぞと言っている。詩の紙片は読み終えた直後、浜風に追われて沖へ飛んでゆき、2人が目で追いながら海の方へ向くところで画面は終わっている。背景は眩しすぎる光に溢れていて、失われた時間を思う。

 この詩は後に、おなかグーグースによって新しい表現を得ることになる。そしてそのインスピレーションは、もうひとつ別の詩との掛け合わせが必要だった。