月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

6月 鮮やかな遠い

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「鮮やかな遠い」

   詩・お話・表紙 Aruzak-Nezon

裸足であ、るきた、いな
子供ならへ、いきだったの

と、まどうしゅ、んかん
光がよぎる

おしゃべりなtoy

意味のないた、からもの
ただ側にあるだ、けでい、い

静かで確か、な温もり
鳥の声に目、を覚ます

草花のよう、に
生き、ていた、ら
地面とつ、ながって

覚えた色々片、言で
歌ってごらん
伝えたかった言、葉より
届くと、どくよ、想いがさ、きに

 

 朝靄のふわふわとした空気の中、案の定道に迷っている。現実の道というより、そこに立っている自分が覚束ないのだ。白く淡く、小さな息吹を含んだ、でも目に見えないものたち。始まりの鼓動の中で震える、微かな存在。あるはずなのにまだ確かめることのできない、そんなふわりと逃げ出すような、ストンと落ちてしまうような、何かに気を取られて足元がしっかりしないまま、少し不安。
 歩き始めたばかりの頃、こうした状態にいたような、きっと知っている感触なのだと思い出そうとして、また迷子になってしまう頼りなさ。そうだ、掴めないものを手に入れようとするときは、これとは逆に静かに息を潜めて待つことが大切なのではなかったか。そう気づき始めて、もう一度裸足になって、そこに集中して、体ごと感覚を開いて、自然と入り込んでくる、そのことを感じ取る。
 始まりの一粒をかろうじて指先に捕まえるとき、それははっとするほど鮮やかな一点なのだ。そして遠い感覚の向こうで確認できるのは、自分だけの色と形をした意識の、未分化でいようとする最後の姿だ。

 

 別々の時期に、それぞれ人生の終わりと始まりをモチーフに描いた「Sole mio」と「鮮やかな遠い」。これらを直感的にひとつの楽曲に凝縮させたのは、氷見野ハオだった。掌にいつも存在する愛しいフォトブックのように、そこに散りばめられた人生の意味を、音として受け取れるようになったのだ。

 


「おなじように」
    詞 Aruzak-Nezon+氷見野ハオ
    曲 氷見野ハオ

降り注ぐ日差しになって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける ひとつになれるように

降り注ぐ雫になって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける 明日もね

靴を脱いで 歩きたいな 幼ければ 平気だった

意味のない 宝物は 僕の側に あるだけでいい

戸惑って 溶け合ってた 目が覚めれば 光の中

姿は無くても 約束はしてたんだ 確かめ合えたら 待ち合わせをしよう

降り注ぐ日差しになって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける ひとつになれるように

降り注ぐ雫になって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける 明日もね おなじように

姿は無くても 約束はしてたんだ 確かめ合えたら 待ち合わせをしよう

降り注ぐ日差しになって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける ひとつになれるように

降り注ぐ雫になって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける ひとつになれるように

降り注ぐ日差しになって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける ひとつになれるように

降り注ぐ雫になって 君に寄り添って 深くまで 深くまで届ける 明日もね おなじように

 

【「おなじように」動画はこちら↓↓】

https://youtu.be/gIjabQbmECc