月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

8月 白球転々

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「白球転々」
 文・表紙 夏萩しま

 「ハヅキさんは夏になると元気になるねえ」
私より少し若い看護師のミクネさんは心底そう思うという感じで、笑いながら一緒にテレビを見上げている。
このシーズンは
「チャネル替えましょうか?」
という声かけはない。このフロアは私の年代の人たちが多いのだが、みんな趣味が合っているらしく、高校生の眩しいユニフォームが力一杯跳ねるのを一喜一憂しながら見届けているのだ。院内が夏休みモードで、元気になっているのは私だけではなさそうだ。


 いつもの散歩道の途中に棗の木があって、夏の終わりに実の育ち具合を確かめに歩いていった。その棗の木が植っている敷地内に小さなグランウドがある。小さいと言っても、ちゃんと芝が植えられて定期的に手入れされている。もちろんマウンドもあるのだが、土は堅く締まって砂埃を上げている。ふかふかの黒土ではないからイレギュラーバウンドが多いし、ベースに突っ込んでいくのもさぞや痛いだろうと、見ているこちらがどこかしら痛く感じる。いつも近くのチームが練習をしていて
「今日はどこのチームだろう」
と足が止まる。先輩が引退して人数はかなり減ったが、夏を越えてやり切ったという自信が、この時期の彼らを大きく見せているように感じる。
「そうだ、もう来年の夏は始まっているのだ」
私も夏の終わりに、次の夏の始まりを意識するようにセットされていた。


 「いんだ、そういうのがいんだ、甲子園なんて行けないのはわかってるさ、でも、もしかしたら行けるかもしれないって、そう思いながらやってるのがいんだ」
映画で高校生役の子が言っていた台詞だ。私なりに考えた。実際に目的が叶うのが1%以下だとしても続けているうちは0%にはならないということ。諦めたときが終わりだということ。夢を持ってその夢を追って懸命になれる自分を、その短い期間を、自分で大事に守り抜くこと。その夏を一生持てるかどうかは自分次第なのだということ。私はその輝きに触れたいと思っているのだった。

 

 父さんが、冷蔵庫から半分に切った西瓜を取り出した。冷凍庫からは分厚い円盤状の氷を出して、かき氷器にセットする。私は西瓜を器のようにその下に差し込んで抑える。
シャッシャッシャッシャッシャッ
尖った氷がたくさん生まれる音。扇風機しかない台所で、冷たいかけらがたくさん飛んでくる、なんとも言えない涼しさを感じている。西瓜氷は山盛りに完成。
「よっしゃっと」
父さんは、ビール瓶の栓を抜き、ガラスコップで蓋をしてカチカチ言わせながら、もう片方の手にはザルに盛った枝豆を掴んで居間へ移動する。私は、お盆の上にかき氷の乗った西瓜を乗せて、
「おとととと」
と居間へ移動する。すでにつけていたテレビの中から、ちょっとどきっとするような大きさでサイレンが鳴り始める。
「間に合ったぞう」
父さんはテレビの前に座ってボリュームを上げ、泡だらけのビールを注ぐ。画面の中では大きなお兄さんたちがボールを投げている。どろんこで、でも笑ったり大きな声を出しているみたい。時々、大波のような
「わあ!」
という声や
「打った打った!」
というアナウンスを聞く。西瓜をスプーンですくってかき氷を真ん中へうまく落とすことにこだわりながら、ゆっくり食べた。
 毎夏これで、少し大きくなっても相変わらず、父さんがかき氷を作って西瓜に乗せてくれるから、私も高校野球をつけた部屋で西瓜をすくっていた。ある夏、
「郵便でーす」
と来た郵便屋さんが、
「あの」
と言って家の中をのぞいた。
「今、どうなってますか?」
父さんは画面から目を離さずに
「高山がスクイズ決めたところ」
と答えた。
「そおっかあ、仕事なんかしてられないな、この後どうなるんだろ、じゃ、どうも」
と言って配達に戻った。次の家でもまた同じように聞くんだろうな。仕事中の大人の人が夢中になる程、これ面白いのかな、とそのとき初めてテレビの中でやっていることをじっと見た。古豪と呼ばれたその学校の名前は、ユニフォームの胸に書道のような文字で書かれていた。
 大人になって県外のその学校の近くに住むようになるのだが、この時は知るよしもない。

 野球というものの細かいことは分からなくても、うまくいったのか失敗なのかは空気で分かった。そして、その波は交互に来る。常に変化していくその流れを見るだけでもとても面白かった。そのうち、かき氷が溶けても見ているようになったので、ストローも準備するようになった。
 中学生の時、先輩がスポーツ推薦で野球部が強い高校に進学するという話を聞き、
「あ、あのテレビで見ていた大きいお兄さんたちと私は近づいてる」
と気づいた。何か不思議な気分だった。初めて高校野球を見た頃を思い出した。かき氷西瓜ストロー付きは自分でも作るときがあって、夏の短い期間だけ相変わらずテレビの前に座っていた。

 高校になると、なんと私は応援団に入った。実は文芸部に入部すると自動的に応援団に登録されるという、訳のわからないルールがあったらしく、最初のミーティングで知らされたときは、高校野球に最接近していることの方に驚いた。実際、野球部の応援でずっとついて球場を巡る、年中日焼けした学生生活だった。吹奏楽部と一緒に夏休みと、秋の地区大会シーズンと、春の選抜の地区予選の頃、すべて応援席に立って声を出し続けていた。気がついたら、高校時代にはかき氷西瓜ストロー付きを一度も食べることなく、高校野球のテレビ中継も全く観る時間がなかった。目の前の自分の学校の試合だけを見ていた。高校野球をしているのは私の同級生たちだった。


 息子が野球を始めたのは、子ども会の催し物で楽しそうにしていて
「やりたい?」
と聞くと、
「うん、やる」
と答えたから。小学校高学年から始めるのは、クラブチームで小さい頃からやっている子どもたちに比べるとずいぶん遅かったが、無駄な筋肉がついていないしなやかな体と、前例にとらわれない自由な発想力を買われて、何度もチャンスを貰えた。中学になって3年間補欠ながらも時折りいい場面で出してもらえたり、常に全体を見ていたことが後々彼の力となる。

 中3のとき、地道にやっていた野球部の活動について推薦文を書いてもらえることになり、これから野球部を立ち上げる新しい学校に推薦入学することになった。私にとってまた高校野球が接近してくる、その予感に巡り合わせの不思議を感じた。息子は高校に入学したらすぐさま野球部に所属して、それからの2年半は一日の休みもなく硬式野球を続けた。
「野球は感覚のスポーツですから休むと戻すのに時間がかかりますので」
と監督から説明され、ノンストップの高校野球がすでに始まっていることに慄く。私は、再接近した高校野球に、食べるものから着るものから道具のあれこれを準備する一番近いところで触れていた。
 座学も選手と共有する。考え方が揃っていなければ良いサポートはできないからだ。弁当もユニフォームも入れたスポーツバッグの一番上に、1キロの板氷を入れて保冷する、それはウエイトトレーニングも兼ねている。ボールとストライクの数の組み合わせによって、投手と打者の心理がどう変わるかを理論で理解する。
「野球は失敗をするスポーツなので失敗そのものは起きるので、大切なのはそのあとすぐに何ができるかを考えれることです」
などに至っては、野球を通して人生で大切なことを学んだのと同じだ。高校野球は、もはや自分の息子がやるものになっていた。
 ベンチ入りメンバー発表の夜は、バリカンを準備して息子の帰りを待つ。気合を入れてツルツルに剃り上げ、ゼッケンを夜のうちに縫い付ける。エースナンバーをもらったときは、とうとうここまで来たか、と感慨深かった。3年の最後には主将として誰よりも大きな声で、誰よりも気を抜かない立ち姿で役割を果たしていた。私は間近で、けれども、遠い世界にいる息子を見ながら夏を過ごした。
 最後の試合で背番号8を持ち帰ったときは、一番後ろの真ん中からすべてを見渡して野球をするんだなと、いよいよ集大成となる高校野球のピークを感じた。夜中にゼッケンをつけていたら、8はなんだか座りが悪い。上下違うかな、とほどいて付け直してみたら、さっきよりひどい。ああ、最初ので良かったのか、とまたほどいて縫い直した。初めのはギチギチすぎて縫い目が硬く、2度目のは少し荒かった。3度目は程よく伸びる糸が体の動きについてゆくように柔らかくピッタリと縫いつけられた。私自身が気持ちを入れすぎていたようだ。少し力が抜けてきた方が良い場合もあると、また学んだ。
 息子は、天性のくじ運の良さと、本番に強いハートで、新設の学校に「夏一勝をもたらした最初の主将」として記録された。ピンと張り詰めた日々が急に途切れる。引退試合の後、ロッカーの中のすべてを持ち帰って玄関に置いたときに、彼はやっと自分にピリオドを許し、自ら壮絶な選手生活を終えた。
「もうしんどい、もうやりたくない」
見たこともないような、ぐったりとした姿で、そう叫んでベッドに倒れ込んだのだ。一生のうちに、こんなにギリギリまでやりたくてやり切れたことがあるだろうか。その歳にそこでしか触れることのできない特殊な世界に身を置くことができた幸運を、そのあとも息子は様々な形で長く受け取り続けることになる。

 それから私は、観ていなかった高校野球をまたゆっくり観るようになった高校野球は、若くて細い男の子たちが期間限定で打ち込む守られた時間だと感じるようになった。みんなそう変わらない、少しのことで勝敗は動くけれど、勝ち負けではないところに独特の価値があると思う。夏になると年々見るところは変わっていった。


 病院の四人部屋の壁の端にテレビが吊るされていて、時折り、
「カキィーン」
「わぁ!」
「とったとったセーフ!」
と元気よく中継している。空調の効いた場所で何もせずに高校野球を眺めている、楽ちんな夏だ。遠くから久しぶりに息子が見舞いに来た。テレビをチラと見ると、
「チェンジだな」
と独り言っぽく言う。来る途中、車の中で見ていたのだろう、流れはわかっているらしかった。リトルリーグのコーチをしている息子は休日は忙しい、今日は平日で何かの代休でやってきたそうだ。
「何かいるものある?」
「野球見るときビールが欲しいなあ
枝豆と、西瓜とかき氷」
と答えると、
「そらダメっしょ」
と鼻で笑って、
「また来る」
と帰りかけた。
「棗の実、どんなかな」
と、「またね」の顔で言うと
「あれね、見とく」
と背中を向けて右手を挙げた。

息子もおじさんになって、私もお婆さんだ。高校野球があるからこのちょっとした繋がりがある。もう、西瓜もかき氷もあんなにたくさんは要らない、ビールや枝豆もなくていいのだ、それは伝わっていた。棗の実も、同じ木を思い浮かべたことでもう叶っている。ずっとその時期はそればっかりに深く関わってきた。高校野球にまつわるそのときだけのことを何度となく濃く味わった。それらのことがあるから、何かがもうそんなにたくさんなくても、何かとできないことが増えていっても、足りてますよありがとう、と本当にそう思う。