「イタリア語を話せたら」
文 夏萩しま
表紙 Aruzak-Nezon
初めてのイタリア映画で、マルチェッロ・マストロヤンニに出会った少女は、ひと目で恋に落ちた
彼の少し照れた少年のように一途な言葉を、字幕ではなく、イタリア語原語で聞きとりたいと思った
頭の中で一度訳すのではなく、声のバイブレーションを持ったそのままの言葉をダイレクトに胸に受け取りたい、ナイーブな表現で不器用に話すその言葉を心で感じ取りたいと、瞳に心を込めて見つめていた
イタリア語で、できればナポリ訛りで直接会話できたら、と思い描いて独学でイタリア語を学び始めた、が、ちょうどその頃にマルチェッロは他界する
まだ多感な頃に、間に合わなかった告白の言葉と宙に浮いた片想いを抱いたまま、少女は大人になりやがて心を閉ざして行った
外出することは珍しく、誰とも会わず、婚期もとうに過ぎた
一人で暮らす老女は、静かにただ静かに人生を送っていた
ある日の夕方、何を思ったか置きっぱなしだったラジオのスイッチを入れてみた
適当に選局して、音楽を流しながらスープを煮る
今がいつの季節なのか、ふと気になった
ワインを飲もうと手を伸ばしたとき耳にしたのは、ラジオ番組のタイトルコールだった
アバンティ
その言葉は久しぶりに心を叩くイタリア語だった
いらっしゃいませと、行ってらっしゃいと、ふたつの意味を持つ、アバンティ
飲んでいたのはトスカーナのワインだった
灯りにかざすと明るい色味は生き生きとした赤だった
潰していたじゃがいもに粉を入れ、
パルミジャーノレッジャーノをおろすと古い香りが広がる
熟成という言葉が湧き上がってきた
そうか、イタリアに関するものは生活のあちこちにずっとあったと、今更ながら気づいた
もういないと言い聞かせながら生きてきたけれど、マルチェーは出会った日からずっと私とともにいたのだわ
アバンティ、おかえりなさい
それから毎週、夕方早いうちからラジオをつけて、相変わらずイタリア各地のワインを選んでは、手打ちのパスタを作ったり、カジキを焼いてレモンを搾ったりしていた
そして台所の椅子で独学のイタリア語を再開した
決して遅くはない、それはどうしょうもなくそうしたくなった、という心の昂まりだった
ひどく久しぶりだというのに、マルチェッロの声は完璧に頭の中で再生される
恋の言葉に応えるこちらの台詞も、的確に発音できるようになってゆく
ときめく素顔は若々しく輝いた
年月を経ても変わらない、熱い想いを胸に確かめながら暮らす人生の終盤で、今までのどのときよりも近くマルチェッロの側で幸福に暮らした
胸の奥で感じて交わす言葉は、確かに呼応して響いた
彼女は程なく他界したが、棺の中のその笑顔はそれまでで一番美しく、これから恋人に逢いに行く少女のようであった