月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

4月 朝

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「朝」
 文・表紙 夏萩しま

 

朝方だった、うっすらと目が覚めていた。

雨が降っている気がして少し早く起きてしまったかな

と言葉にして並べてみる。うーーん。さらりとしたシーツの感触を追って寝返りを打つ。少し開いたカーテンから窓に残る雫が見える。空は明るくなろうとしていた。

そういえば、あのおじさん、この頃見かけないな

小筆の練習をしているようにはすかいに増えていく水の跡を、いくつか数えて目を閉じる。体は水滴になって枕の底に沈んでいった。小雨に混じって小さな雫の形で水面に触れる。ひとつずつ永遠のような波が伝わり全体が波打ち、それもそのうち静まった。

今度こそうっすらと目が覚めた。少しはっきりとしているのは、明るくなっていたからか。夢の中で雨は止んだらしく朝日がさしている。風で少し揺れる光は水に反射して、ちらちらと散るように動く。外の空気はすっかり洗われてきっと清々しいだろう、そう思うと気になって体を起こしかけた。しかしまだ眠くだるい体は起きていない。さっきの水面にやはり沈んでいたようだ。やっとのことで窓の近くまで自分を運び、カーテンを分けて窓を開ける。
すうーっと、明らかに温度も質も違う空気が入って来て、胸の辺りまで広がる。思った通り少し冷たい空気に新しい朝を感じた。胸いっぱいの空気を一度に入れ替えたくて、ゆっくりと呼吸をして、頭の中まですっきりする。

ちょうど近くのおじさんが通りかかって、なんとなくカーテンが開いたままの窓の方へ向いてしまい、ギョッとしたような表情をした。こちらは、えへへという感じで会釈をして声を出さずに、おはようございます、と口だけで言った。
おじさんは歩調を確かめるように頭を下に向けて、軽く右手だけを上げて応えて行った。日光はまだオレンジ味を帯びて横からさしていた。ソファにもたれて目を閉じると、さらりとした空気が体をなぞってゆく。
おじさんの後ろ姿が大きめの山羊になって、その後ろを、仔牛や仔羊がわりと行儀良く並んでついていく。どこへいくのだろう、と眺めていたら、朝日の中に溶けていった。いつのまについて来ていたのか、続いて中くらいの山羊、巻毛の羊、まだらの山羊、角が片方の山羊、散髪したての羊、茶色のアヒル、まるい雌鶏、、、みんな小声で話しながら並んで歩いて行く。同じように朝日の方へ向かって歩いて光の中に入って行った。

うっすらと片目を開けたら、顔に朝日が当たって目の奥が眩しい。なんの幻影だったのだろう、とさっき見たものを思い出しながらカーテンを少し引く。あのおじさんが、さっきと同じ向きに歩いているのが目に入った。今度はこちらに気づかずに通り過ぎて行く。朝日に照らされて穏やかな横顔だった。今気づいたが、白い服を着ていた。それが光でオレンジ色に染まって見えていた。
伸びをして目をこする。ゆっくり目を開けると、あたりはいつも通りの平日の朝のそれなりに静かな街だった。昨日とそう変わらない一日が、いつもとそう変わらない生活音の中ですでに始まっていた。
あの動物たちの声は聞こえなかった、何語で喋っていたのだろう、とふと気になった。それを待っていたように、毎朝同じスズメの声が響き始める。東の空の方を向いたがあのおじさんはもう見えなくなっていた。