月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

11月 morning time

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「morning time」

   文/ 夏萩しま  表紙/ Aruzak-Nezon

 


 

早めに目が覚めて支度もだいたいできたのだが
急に冷え込んだ今朝の道路を見降して、今シーズン初出番のストールを、巻いてはほどき巻いてはほどき、、、
去年とは様子が違っている自分の面持ちに、ブルーグレーはしっくりこないなぁと話しかける
「今年のあなたは明るい色がラッキー」
占いの言葉を思い出したけれど、今年もあとひと月なんですがね
ライムグリーンのストールで今日の自分をどうにか包んで風の中へ出かけた
どっちだっていいのだ、もう出かけることができたから、今日はこれで


晩秋の乾いた風、明るすぎる空、時々帽子に乗っかる鮮やかな葉っぱたち
通い慣れた道は季節がひとつ動いて、新しい今日が始まっていた

先週、古着屋で手に入れた柔らかいブーツは、硬い路面と少し浮いた私を滑らかに繋ぐ
一体感のある一歩一歩を跳ねるように歩く

この季節、この何日間かだけの、中途半端な切なさと温かさを、こうして独り占めしていることが、私の贅沢、だと思う

そして、美味しくて私をほったらかしてくれる喫茶店の、モーニングに辿り着く
カランカラン
アベルが意外な大きさで鳴り、特別な時間の始まりだ
オープン直後だと、コーヒー豆を挽く薫りが時代がかったやかましいマシンの音とともに流れ、夜の湿り気を持った女性ジャズボーカルの声が重なって、ここらしいざわざわ感となって逆に落ち着く

次々と訪れる、常連の皆さんが
コーヒー
あれね
わしゃ今日はーーあーコーヒー
いつものを
などと自由に注文して、ママさんが、ハイ、と返事しながら正確にカウンターへ伝えてゆく
圧倒的におじいさんたちが多い、一人暮らしの朝だから来ているのだろうし
若い頃からずっと美人であったろうママさんのファンなのかも
私は一人不思議な存在だ、一番端の一人掛けの席でブレンドコーヒーのモーニングをお願いする

早々から賑わう店内は、日常の言葉で満たされる
お祭りのくじ引きのこと
週刊誌の見出しのこと
スポーツの結果
紅葉の予想
孫の七五三の写真
共通の話題、それぞれが話したいことでいっぱいだ

天使がかしづくランプにopen/closeの札がぶら下がっている、その天界の下に、サラウンドで言葉の渦ができあがる
全くおしゃれじゃないのにジャムセッションとなって響く
誰もトーンを崩さないそれぞれの音符、語尾は必ず笑っている

そしてさらに
トーストのカリカリになったいい匂いが、コーヒーより勝る勢いで入り込んでくる
穏やかな秋の一日が活き活きと勝手に始まっていることが、緊張しやすい私をニュートラルに落とし込んでホールドする
さあいつでもいけるぞと思わせる安定感がなぜか湧いてくる

もう何曲も流れた曲はおなじみのものばかりだけれど、いつも変わらずちょっとだけセンチメンタルを誘う
懐かしい場面が思い浮かびかけてすぐに結晶になって、まあるく浮かんで胸に収まる
具体的な何かは必要ではないのだと納得する瞬間だ

新聞をばさばさとめくる音が加わったところで、遠ざかっていたジャズの名曲がまたよく聞こえてきた
クラリネットのソロ
お客さんが少しずつ入れ替わり始める
ママさんからお釣りを受け取るときも、ひとことふたこと独自の挨拶をしてゆく
店の外でバイクのエンジン音が弾けた

カップに残った半分のコーヒーにミルクをたっぷり足して、一口で飲み干す
まだそんなに時間は経っていなかったが、今朝の気分を整えるには充分だった
私もそろそろ行こう
次に来るときは、ナタリー・コールのジングルベルが朝からまた低く流れているだろう

感謝の言葉を交換するために新しめの硬貨を選んで、ちょうどいい重さの椅子を少しずらす
心地いい木の音がベース音となって加わる
そしてそれも食器の音、話し声、新聞をたたむ音に包み込まれる
カランカランと鳴るドアベルに運ばれて、朝の街に伝わって紛れていった

自分自身が、トーストとコーヒーの香りを纏っているのだと、外へ出て気づく
風はあるが、ストールの中は暖かい香りだ
何も考えずにただただ歩く
ストールもブーツも心地いい
秋はもう深まってきたけれど、今日はまだ始まったばかりだ

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「最秋便」
 詞 Aruzak-Nezon

夜のバスは私を乗せて
ほほほほ、朗らかに走る
知らない誰かに
引き留められても
今日こそ飛び出すの
ここではないどこかへ

夜のバスは私を乗せて
ほほほほ、朗らかに走る
温もりに揺られて
今日が終わってゆく
眠ってしまっても
朝は新しいでしょう

いつもの街、とうにすぎて
灯はいくつか、とうに薄れ
小さな鞄も、もう要らない
忘れてしまえば、軽くなって

夜のバスは私と笑う
ほほほほ、朗らかに走る

 


低めのふっくらとした女性ボーカルの、緩やかなボサノヴァを想定しながらこの詞を書いたのは、並行して多くの仕事を手掛けていた頃だった。1日のうちに少しでも自分を毛羽立たせない時間を作って、実際にはそこから離れられない状況でも脳内で羽を閉じるように、工夫しながらセルフコントロールしていた。苦しくてもやりがいのある日々に、流されることなく自分から積極的に参加していく、その気分が大事だった。

日暮れが早くなって、時間が足りないような錯覚を生むときも、そんな1日の終わりへ向けて意図的に軸を外して、夜は夜でまた異空間への逃避行を仕掛ける。充足した夢の中にいて、自然治癒力を信じて待つ。金木犀の香りに誰よりも早く気づくとき、案外大丈夫だと、明日をまた笑って迎えることができた。花は咲いた朝に1番強く香ると私は知っている。