月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

3月 3月のバルセロナ

 

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「3月のバルセロナ」  文・表紙 夏萩しま

 


 大きな仮面のバレリーナが、遺跡のような荒々しい岩肌ののテラスに現れる。
カラフルなタイル模様の、不思議に歪む光を連ねたステージと、流れるようなその踊りは、ひとつになってやがてポーズをとる。 光に満ちた地平線の真ん中で、その姿が穏やかに静止する。
 
 学生だった僕は、今見たものがなんだったのか考えることさえできず、古いテレビの前で完全にハートを撃ち抜かれていた。それは本当に、言葉にできない何かを激しい衝撃とともに僕の体に投げつけてきたのだった。
 それからも何度も見かけたそのCMが、とても作り物には思えず、祈りのように現在もそこで日々繰り返されている、人の暮らしの中にある儀式のように見えていた。つい見かけてしまった異国のマジックに、僕は魅了されてしまったのだ。いつかあそこへ行って同じ場所に立ちたい、いや自分もあの場面の一部になるのだ、という強い衝動に取り憑かれてしまっていた。
 短いクレジットから、グエル邸、バルセロナ、スペインと突き止めたときには、もう飛行機を予約して、具体的な計画もそっちのけで、心はフライトしていた。
「行きたい、ではなく、行くのだ。」
初めての海外、スペイン語など喋れないがかまわない、どうやっていくかの不安はない、行かなければと気持ちは走った。
 カイロでトランジット、ヒースロー空港からドーバーを渡り、特急電車でパリを経由してマドリッドへ、そこからさらに電車に乗る。

 結果的に到着することができた。日本人がバルセロナに着いたら、郷土愛に満ちた市民は
ピカソの家はこの近くだ」
サグラダファミリアはもう行ったか」 
「ガウデイのデザインした家に泊まれるよ」
とにこやかに話しかけてくる。デザイン学校で耳にした固有名詞とスペイン語の端切れはなんとなく理解できたから、歓迎の言葉に押されてどんどん歩いていった。はなから不安はない、確信に満ちていた。
 ランブラス通りで宿所を決めて、登りか下りかわからなくなるようなくねくねと生き物の曲線を持った廊下の端の、小部屋に荷物を置く。開け放った窓から、自分の部屋の外側が爬虫類の鱗のように艶々とした装飾に包まれている様を確認する。誰の目にも明らかにわかる、サグラダファミリアはどの屋根よりも高く街の中から聳え立っていた。少し乾いた街から植物が生えている、しかもまだ伸び続けているのだ。その建築物に「結果だけを知ろうとしてはいけない」と釘を刺されている、なぜかそうはっきりと感じた。
 街中から見えるあのてっぺんあたりで働く、日本人の職人もいるらしい。テクノロジーによって400年かかる工程は少し縮まったのだろうか、それとも設計通りに時間をかけることを重視するのか。若すぎて焦りばかりで空回りしていた僕は、このときから、プロセスを濃く深く体感するようにシフトして行ったと思う。

 身軽になって、すぐ外へ出た。石畳の道は踵からリズミカルな振動を脳へ運ぶ。日本にいたときとは思考が違ってくると感じる。
 動物園の入り口のような植物と混在する水のモニュメントで、愛らしい青いトカゲが迎えてくれる。バルセロナブルーと呼びたい青いタイルが、生き生きとした立体感でトカゲの姿になり、
「やっときたな」と陽気に手を伸ばして親愛の情を表してくれる。
「やっときたよ」と僕は手を重ねて、そのひんやりした温もりに触れる。

  明るすぎるラテンの陽光、目眩を感じながらグエル邸を巡り歩く。木の根のような柱の間を歩けば土の匂いと少し涼しさを感じた。下から見上げると、あのステージが、向きは逆でもはっきりとそうとわかる、あの変わらない印象、そこには僕のいるべき場所がまだ存在していた。
 壁沿いに半周して、ステージの上に辿り着く。テラスもタイルで埋め尽くされ、見事な調和とひしめき合いを繰り広げている。想像していたのとは少し違って、この国の陽光の中では強く色彩が立ち上ってくる、まさに生きているように。
 テラスの真ん中あたりから、軽くステップを始めた。あれからどうしようもなく練習してみたくて真似事だけれど、ひとつターンをして、お辞儀のポーズで腰をかがめる。ステージの端のぎりぎりで止まって、真っ直ぐに地平線へ視線を注いだ。そこから見えるバルセロナを、そのときやっと初めて眺めた。

 3月がどのくらいの時期なのかも知らない。初めて仮面のバレリーナを見たときから今ここにいる自分を思った。あっさり来てしまったようだが、長くかかったのかもしれない。でも、こんな熱量で自分が動いたのは初めてで、そして、もうこんなにもヤラれて招かれるようなことは多分ないだろうと思った。

 

 午後を下るまで空とタイルの間に立っていて
「明日、帰ろう」
とすんなり思った。来たばかりだが、もうすべてが僕の中に入ったと思った。急いで帰りたいのではなくて、充分に時が満ちたら、日本で待っているこれからの面倒くさい色々なことを、きっとうまくやれるだろうとも思えた。自分の中にはこの空気と色彩と光が生き続けるとすれば、大丈夫だ。

 

 随分と臆病な大人になってからも、鮮やかな記憶は僕の人生を長く照らし続けた。