月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

5月 骨蒸し

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「骨蒸し」
 文・表紙 夏萩しま

初デートのセッティングをお任せしたら、老舗の和食のお店だった。馴染みの料亭なのだろう、渋いセレクトに早くもハテナマークが湧き上がる。外廊下を案内され、奥の佳い座敷に通されると、他の客の気配も消えた。譲り合う間も無く私が上座に座ることになる。これはどういう図なのか、パワーランチもどきの、、何?
見事な掛け軸をちらちら見ながら食事をしたかったのだけれど、ここからの庭が自慢の景色らしい、ほう、と息をつくような美しさだった。築山の後ろの竹林には街のビル群が隠されていると思うが、違和感なく初夏の空と繋がっている。新緑の頃。
ほどなく先付けが運ばれてくる。このあとの流れがわかるようにお品書きが置かれ、ひと枝の青紅葉が添えられている。そういえば、庭の端にも若い紅葉が枝を伸ばしていた。
かしこまった気分で会話が途切れていたが、私の緊張が解けるまで無闇に話しかけないで、静かに庭を眺めて待ってくれている様子に安心する。緊張はしていなくて困惑していたのだけどね。まあ、彼の落ち着き払った雰囲気にしばし和む。

一皿目が来ると、思わず、わぁ、と二人して声を出した。名残、旬、走り、それぞれの野菜が色とりどりの細切りに束ねられ出汁仕立てで深皿に泳いでいる。涼を表した冷たい前菜だった。
「きれいですね」
食べる前に一言言ってから箸を持つ。
「あらそんな、照れますわ」
と冗談を言って笑わせておいて先に箸をつけた。よく出汁が沁みていながら、しゃっきりとして、しかも香りがある。
「美味しい」
思わず口に出る。
「いやそれほどでも」
同じ手で言い返して来たことにうっかりウケてしまった。しばらく二人して歯応えのいい野菜の音を立てながら味わっていたら、いつのまにか二人して笑顔を交わしていた。

グリンピースのピュレで緑を描いた皿にスズキのポワレが乗ってくる。ヌーベルクィジーヌも取り入れて、なかなか遊び心のある料理だ。それから鯛の頭が丸ごと湯気を立てて大皿の骨蒸しが運ばれてきた。続いて、筍の甘皮で包んだ粽、稚鮎の土瓶おこわが出てくると、ご飯ものをふたつとも私の方に押してよこす。
「どちらもどうぞ、ご遠慮なく」
どことなく心ここに在らずという感じの、誰にということもない言い方だった。スズキは小さい焼き物だが、こんなにご飯を食べたらあとが食べれなくなる。どゆこと?と黙って見ていると、ひとりで骨蒸しの大皿を抱えて着々と解体しながら丁寧に身を外してゆく、その手順に早くも入り込んでいる。それはそれは手慣れた感じで流れるように箸を使って、時々口に運びながら一心に骨蒸しと向き合っている。
「ご飯食べないの?」
と聞くと
「食べません」
と集中力が途切れないようにか、食い気味の早口で即答する。注文するときに断ってもよかっただろうにと思いながらも、ご飯が美味しかったので私は私で黙々と食べた。

静かな座敷には、庭の緑が映り込み涼しげに揺れている。
「見事なお庭ですね」
と芝居がかった言い回しをしたが、返事はない。骨蒸しはいよいよ終盤にかかっており、流麗な骨格を見せながら完食に向けてその白々とした美しい骨を煮汁の真ん中でテカらせていた。こんなに集中する人なのか、とまじまじと顔を見ていたが気付いていないようだった。

季節の果物が運ばれて、空いたお皿を下げるとき、ようやく骨蒸しを完食したらしく
「美味しかったです」
と中居さんに声をかけた。
私はちょっとだけ意思表示をしておこうと、食事中ほとんど話していなかった相手に向かって
「骨蒸し、ひとくちだけでも食べたかったな」
と静かに言った。
「あ、好きですか?もうひとつ頼みましょう」
その回答に悪気はなかった。つまり今日のところは、魅力として私よりは骨蒸しの勝ちということらしい。
「いえ、ご飯とご飯でお腹いっぱいになっちゃったので、一人前は無理かな」
頭が悪い人ではない、気が利く人でもある。ポイントがずれていることが多いのだ。これを個性と見るか、無理な人ととるか。
「私が食べますよ」笑顔だ。
まだ食べるのか、あくまでも「骨蒸しラブ」なのだ。今日のところは完敗だ。追加注文はとどまらせた。

帰りの車で
「今日のところ美味しかったでしょう、また行きましょうね」
と言われたが、それは骨蒸しが食べたかっただけなんではないか?その店はそれきり行っていない。私が死守している。もう少しデートらしい会話ができるところへ、つまり骨蒸しのない店へ連れて行ってもらおうとしているのだが、他にも好きなものがあるだろうから、行った先でまた同じパターンになるやも知れず。この勝負はなかなか苦戦しそうだと、いつの間にかもうこの人の探究の旅に踏み込んでしまっているではないか。それほどの価値のある人なのだろうか、判断の材料がまだひとつしかない。いつか勝利する日までついて行ってみる、とほぼ一択。決してまだ惚れたわけではない、決して。


「ぎりよういんりゅうと」という男は、こうして私とご飯を食べるようになった。


何回目かのデートで、私は草餅と桜餅を作り、ミャンマーのコーヒーを淹れて公園へ誘った。車を降りる前に、いつも使っているという日焼け止めを、半袖から出ている腕の白いところ5センチに塗る。その先はものすごく黒く焼けていて、着る服によって二の腕だけに塗ることが意味があるのかどうかはわからなかった。きょとんとしていると私の鼻の頭にも塗ってきた。
「なななななに?!」
「焼けますよ、塗ってきましたか?」
「ぬぬぬぬ塗ってる塗ってる!」

木の下のクローバーが香る場所にシートを敷いて、改めてお日様の暖かさを感じる。これは確かに紫外線がいっぱいだな、と思う。
早速、コーヒータイムで、ちょっとびっくりしてくれた。
「作ったんですか?」
「はい、葉っぱは去年漬けたやつ、蓬は昨日摘んだのよ」
「ああ、うちの近くにも生えてる、摘んでお団子を作ったこともありますよ、いただきます!」
意外と草遊びとかするんだな、と発見。
「いい香り!美味しいです」
「餡子は間違いないやつを買ったので、味は大丈夫だと思う、あはは」
「いえー、美味しい、桜餅は葉っぱごと食べる派ですか?」
「どちらかというと葉っぱが好き」
「はあ、だから上手に作れるんだ」       彼は葉っぱごと桜餅を噛んでもぐもぐしながら空を見上げた。思いの外、会話が弾んでいる。こんな何でもないことをやりとりしているだけなのに、いい感じて、不思議。

ちょっと野生的なコーヒーを飲んで、口の中の甘いものがちょうどよくなる。外遊びをしていた子どもの頃のように、なんだか元気が出て来る気がする。足元のスズメノテッポウを引き抜いて笛を作ったら、細すぎて巧く鳴らない。
「何やってるの?」
ちょっと意地悪な笑い方をして、太めのを一本抜くと上手に鳴らしてみせた。とても悔しい。私は今度はタンポポで鳴らす。すぐに違う高さのタンポポ笛が追いかけてくる。
「えーすごい上手!!」
「よくやってたから、得意です!」
「ふーん、そーか」
「ふふふ、そーなんだよ」
いつまでも遊びともいえない遊びをして、本当にすごく日焼けして、その日のお日様が体に入ったみたいに、暑くて熱くて、ちょっとふわあっとしてしまった。
クローバーで編んだ冠で戴冠式をする。
「恋人になれるてことですね?」
頭にクローバー冠を乗せてにこにこしている。
「そゆことは言わないのよフツー」
言い捨てて日向へ駆けて行った。
時々イタリア人並みの甘言を口にする。いつも急だから恥ずかしすぎる。

少し離れて桜の葉を摘み始めた。
「これは食べられるの?」
私の頭一つ上から言われびっくりする。
「塩漬けにして来年の桜餅になるのよ」
高いところの枝をそおっーと押し下げて、私の手の届くようにして
「この辺りの?」
と尋ねる。
「そう、オオシマザクラの、それくらいの大きさの葉っぱ」
私が手を伸ばして2、3枚取ると、次の枝を下げてくれる。
20枚ばかり取って
「ありがと、もう充分、欲張りはダメ」
と言うと笑って枝を離した。
「来年食べれるんですね、楽しみ」
それが長い約束のようで、特別な意味を感じる。

「あ、靴が染まってますね」
急に目線を下に向けて、少しくらくらする。明暗の切り替えはちょっと苦手。
「この辺りにも蓬があるんじゃないかな」
「え」
しゃがんで、あたりを見まわし始めて、すぐに見つけたらしい。
「あった、あった」
上から3枚の柔らかいところを、丁寧にひとつずつ摘んでゆく、その手つきは慣れた感じだった。だんだん集中してきたような気がして、私も摘もうとしたら
「はい、このくらいで美味しくできますよ、欲張りはダメね」
と私の両手に蓬を山盛りにした。
「またご馳走してください」
未来の約束をこんなにしてもいいのだろうか。それとも、ごく近い未来をゆっくり追いかけていけばいいのか。まだまだわからない。
けれど、今日は、桜餅と草餅が共有できたと思う。この人の謎を解くのではなく、なんとなくそのままにして一緒に過ごせたら。その生き方が同じなら、小さなことが幸せだろうなと思う。
「次は柏餅と梅のジュースかな、また晴れた日に」
「はい、お散歩しましょう」

車に戻るまで、クローバーの冠を落とさないようにバランスをとりながら歩いて、リアシートのビジネスバッグに編んだクローバーをどうにか入れるとエンジンをかける。
「クローバーの香り強くないですか?」
「すっごいするんだけど!」
温まっていた車内は香りが立ち上って、甘く甘く濃くなっていった。
「窓開けましょうか」
「んーもったいない気がする」
「じゃあこのままで」
「ぜひこのままで」


「ぎりよういんりゅうと」という男は、こうして私と空の下で散歩するようになった。その個性は知るほどに特殊なものであるという確信を深め、同時に同じくらい、とても身近で共通項の多いその「なんでもなさ」との共存に驚く。次のデートも楽しみだ。