月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

5月 序章

 

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「序章」
 文・表紙 夏萩しま

図書館のロビーにある、3人掛けの長椅子は、クッション、卓、クッション、クッションという並びになっている
自販機で買った紅茶を卓に置くと、自然にその横のクッションに腰掛けるようになる
目の前の長椅子の、クッション、卓、クッション、クッション
みんな空いている
その次の長椅子も、空いている
にもかかわらず、中年女性の大きなお尻が卓だと思っていたところに乗り、ぎしっ!と鳴った
両側にあるクッションは全て少し綻びていた
初めから綻びていたのだろうか、わからない

行きがけに満席だった喫茶店を帰りがけにもう一度覗くと、ひと席だけ空いていた
あとは、図書館に行く前のお客さんがまだいる
かれこれ1時間
ひと組みは、キャーキャー盛り上がってる女の子たち
そんなに話があるのかと呆れるくらい元気いっぱいだ
もうひと組みは、パソコンを挟んで話し込んでいる
そのうち向かいの女性がコーヒー代を払って席を立つ
男性はパソコンから目を離さずに、お疲れー、という
まもなく別の男性が来て、ブレンドコーヒー、と頼んで先程の女性がいたところに腰掛ける
2人でパソコンを挟んで仕事の話でワイワイ盛り上がっている
3つしか席のない小さな、おじいちゃんがやっているような喫茶店で、非常識な状態になっていると思うが、店主は何も言わない
代わりに
私のトーストを焦がしてしまい、焼き直している
気になっていないわけでは無さそう
私は、私のことは大丈夫ですよー
という空気感をを纏って、なかなか来ないモーニングを待つとはなしに待っていた
そして誰よりも早く食べ終えて、その店を出る
いつもはジャズの流れる、静かでまったりとした店に、常連が入れ替わりながらもそれぞれがゆっくりと過ごす、古めかしい喫茶店だが、今日は大手のファストコーヒー店から飛んできたような客層だった
まあ、ふた組だが
世の中のルールが変わってきたのか、自分が古びて来たのか、居心地が悪くなって来たようだ
ドアの外では一塵の風が街中をはためかせていた

バスに乗ったら空いていたので2人席を占領して悠々と座った
外の明るさが嘘っぽく見えて、こんなことが前にもあったような気がしたが、思い出せない
ふとバスの中は、年寄りと自分の子どもくらいの少年しかいないと気づく
そういう時間帯なんだろう、と思ったとき、老夫婦が次のバス停で降りる支度を始めた
ご主人はパンパンのリュックをおぶって、買い物帰りなのだろうか、奥方の分まで手提げを持っている、仲の良さそうな2人だ
しかし、通路を通るときに見てしまったのだ
老婦人の手には、鞘におさまった勇者の剣がしっかりと握られていた
ここで降りて、竜を退治に行くのかもしれない
それは自然な発想だった
私はもう何も驚かないぞ、と思った
剣を握りしめて、足元に気をつけながら少しずつ歩いてゆく丸まった背中を窓から見送った
勇者は何も若い逞しい男だとは限らない
倒す相手によっては、彼女が最大の脅威になるのだ
世の中のルールが変わったのではなく、今までとは違う別の世界が見え始めたらしい

家に帰って、息子にその話をすると
バスを降りるときに6頭くらい切ってたんじゃない?
と言う
なんだと、敵の姿も見えなかったぞ、あの数秒のうちにもう仕事は済んでいたというのか
え?本当に見えてないの?
そう言われて息子をまじまじと見つめた
見つめ返すその瞳には、何度も戦ってきた自信を現す光が、静かに輝いていた