月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

2月 ハクモクレン

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ハクモクレン」 文・表紙 夏萩しま

 


 さっきまで繋いでいた手をするりと解いて、凛々は、少しはしゃいだように僕の前を登って行く。早春の湿った坂道を、迷いなく歩いている。時折り、あの雲が、とかあの木の梢は、とか指差しては言っているが、僕は足元に気を取られて、歩くので精一杯だ。萌え始めた草の芽をひたすら追っていると、いつのまにか息が切れてきた。少し上がったところで、柵が真反対に繋がっている踊り場のようなところが見えてきて、凛々はやっと立ち止まった。僕が辿り着くのを待っている。僕はどうにか追いついて、凛々を見上げるようにして息を整えた。
 凛々は楽そうに息をしている。なぜか満足気に僕の顔を眺めている。周りは少し木立のようになっていて、外側からは見えにくくなっていた。黒い幹が装飾的な街灯のようにくねくねと伸びて、大ぶりの電灯のような花を載せている。並んだ幹を背に大小の明るい花に照らされて、こちらをまっすぐに見ている凛々は、いつにも増して美しい。何か企んでいるときの顔だ、と少し後で思った。

 凛々が爪先立ちして花に手を伸ばした。しばらく伸びていたが、どうやら花に手が届かないらしい。僕はすっと手を上げて花に触れ、凛々の顔を覗き込んだ。その目が、取って欲しいのだと言っているのを確かめてから、静かにその大きなクリーム色の花をむしった。目を合わせたまま、凛々の手に触れ、それをそっと手渡して、どうするつもりなのかな、という顔をして待った。
 凛々は、ペロリと舌を出してやや肉厚な花弁に噛みつき、形のいい唇で挟んだままゆっくりと咀嚼し始めた。それは特別美味しそうな感じではなく、何かを隠蔽しようとする仕草に見えた。花弁がだんだんと取り込まれてゆく唇に、つい見惚れていた。
 同じ花を僕の口元へ当てて、凛々がじっと見ていることに、ほのかな香りで気づいた。少し冷たく透き通った香り、僕は何も考えず、その花を凛々のように口に入れた。
ぐえ、苦い!苦かった、少し痺れる、慌てて吐き出すと、凛々はクククと笑って自分は何気なく飲み込んでいる。よくこんなモノを、大丈夫なのか。
 凛々はその口で、歌うように言葉を紡ぎながら、二人だけの空間から離れ、また先に歩き始めた。


  一緒にかじってみた
  花びらのちょっと毒の味

  何も見ない
  明るい春の午後
  苦いけれどちょっと甘い夢

 

 声はきれいに空へ流れていった。誘われたのか、珍しく鶯の初音を聞いた。一瞬、視界を遮っていったのは花びらだと思ったのだが、睫毛の近くで冷たく溶けた、雪、、。季節が移り変わって行く標のように、凛々は何も言わず消えた。秘密の恋は終わった。