月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

2月  雨宿り

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「雨宿り」 文・表紙    夏萩しま

 


 とうに製造終了した12枚のガラス板は、この店の道路に面した出窓の木製フレームに収まっている。昔流行ったスタイルだが今はもう珍しい。この「時代ガラス」を通して見る景色は、見慣れない非現実を映す一枚のスクリーンとなって揺れている。今日は雨だ。
 作り物のビルやらパーキング、嘘くさい看板、不機嫌そうなエンジン音を引きずるモーターバイク、場違いでくたびれたグリーンたち。ぬるい雨にぐったりしている物ばかりなのに、微妙な技で滑らかに波打っているガラスの表面と、角度をつけて一徹に切り揃えられた切り口が、水と親和性のある透き通った緑色に光るところで別のものに変形させる。ここを通り抜けるものはすべて生命力を持った情景に変えられ、ストーリーのありそうな風景に作り替えられている。
 青い花がデザインされたダンスクのカップに前歯をたてて、もう長いことこの席の権利を主張してる私なのだが、お咎めなし。とてもいいお店だ。
 店内のラジオもまた、素直に落ちる雨粒との共振のように、途切れがちなパーソナリティの淡々とした語りを送り出し続けている。上がってんだか下がってんだか独特のニュアンスで次の曲を紹介して、スクリーンを流れる風景に抑揚のある音楽を添えてくれる。そして時々、すごくよく知ってる曲が始まったりしてドキッとする。現実とちょっと接近してしまうことをできるだけ避けていたい、今は。
 と言いつつ、いつでもこんな風に、古めかしい布張りの背もたれ椅子にすっかり包まれて満たされた状態から、なかなか立ち上がれず長居をしてしまうのだ。どんな気分でここへ来てもこの席に案内されたら、とりあえずは今日お気に入りの時間と空間を独り占めできるという喜びに安堵する。

 この店のモーニングは、マスターの長年の真面目な修行とほんわりした思いやりでできている。角がカリカリのトーストにたっぷりのバター、あらかじめ切れ目を入れておいてバターの後でぱかっとふたつに割る。すると少しぎざぎざができてバターは不均等に広がる、どこから食べても違う感じで味わえるようになっていて、食べ切るまで楽しめるようにまだ溶けていないバターも少し付いている。
 サラダの小皿には、半熟よりも少し落ち着いたタイミングのほんのりと温かい茹で卵、レモンの香りがするきれいなままのバナナ、一切れの固めのトマト、2枚のシャッキリとした胡瓜、一口大にちぎって丁寧に積み上げられたサニーレタス、全部を包むまさにドレスのようなドレッシング。季節によってはここに林檎や葡萄や柿や蜜柑がきれいな切れ目を入れられて加わる。小ぶりなフォークで最後まで食べやすくセットされていて、カウンターの中の氷の上でお行儀よく出番を待っている野菜たちは、少しだけひんやりして元気がいい。毎回この安定と信頼の一皿なのだ。
 それから味噌汁が小さなカップでついてくる。出汁をとって味噌の加減は具に合わせ、春先などはふきのとうが入っていたりして驚きと感動がある。
 これだけのきちんとしたモーニングに、当然ながらコーヒーは文句なしだ。スペシャルティのシングルオリジンの豆を、素晴らしい完成度で毎回美味しく淹れてくれる。クリアに個性が味わえるブラックから、コーヒーシュガーを少し沈めてだんだん甘くしながら、最後はコーヒーフレッシュを半分入れてとろりとした味わいで飲み干す。本当はここでもう一回プラックで飲みたいところだが、それはたまの贅沢にしとこうと、いつも自分に言い聞かせる。

 そしてなんと言っても、季節の変化を少し先取りした野趣溢れる山野草を豪快にカウンターの壺へ生けているのが、ぱっと見おっとりと奥ゆかしげなママさんで、実は隠しきれない才能をお持ちなのだ。少しずつ変わる花々が暦のように自然に繋がり、小さい店内を生き生きとした里山や深い森林の空気にしている。この前は大ぶりの蝋梅の枝が薫っていた壺に、今日はネコヤナギと桃の枝がそれぞれ束で詰め込まれている。もうこんなに日が経ったかと、この店で気付かされる。

 

 そんな素敵な喫茶店だけれど、時々、早く行きすぎて一番混んでいるときに来てしまい出直すことになったり、少し遅くて
「モーニング今終わったんですよ」
と言われて、
「じゃあコーヒーだけ」
と注文した私のまわり全員にモーニングが配られたりすることがある。あと一人だけ前だったのかあぁと、トーストや味噌汁の香りの中で挫けそうになり、
「トーストはできませんか」
と頑張って尋ねるのだが、
「あははぁ、パンが無い」
と答えられてしまい、もう笑うしかなくなることもある。
 こんなスリリングな、エンタテインメントを解する、間違いない仕事をしてくれる喫茶店はとても貴重だ。それにしても、茹で卵は、いつもどこから出してくるのか、あまりずっと見ていても悪いしちょうど見える角度で卵を出してくれたらいいのだが、鞄や上着を椅子にのせてから座っている間にいつもいつの間にか、こんこんと卵をカウンターに打ちつける音がして、あら今回も逃した!と思う。次こそは確認したいが、もうはや何年か経つ。どうも後ろの戸棚が怪しい気がするのだ、、次こそはだ。

 ガラスの向こうの雨粒が、少し細く静かになってきた。そろそろ傘で歩くのもいいかな、このままもう少し座ってるのもいいけど。と、しばらくわざと悩んで、名残惜しい4人がけのテーブルに手のひらをのせたまま、ガラス越しの雨の街の温度を測ってみたりしている。

 突然、落ち着きを破るやや不穏な金属音が響く。温厚極まりないマスターの両手が、パン包丁と刃研ぎを両撃ちガンマンのように素早く回転させて、切れ味よく仕上げるのに7回ほどショワッ、ショワッと擦り合わせたのだ。集中した目が光っている。私は目が合ってはいけないような気がして、財布の中の小銭を数え始める。

「ごちそうさまでした、今日も美味しかったです」
雨が止んでしまうまでにもう少し歩きたいと、やっと気持ちが決まって、短い雨靴をぎゅといわせて軽く礼をした。こっちを向いたマスターはいつもの感じに戻っていた。
「ありがとうございました、行ってらっしゃい」
私はこの、行ってらっしゃい、というのも気に入っているのだ。何にもなくても何か大事なことをしに行くんだという晴れがましい気持ちになる。どこまでも離れがたい。

「行ってきます」何かありげに少し急ぎ足にしてみたり。次はいつまた雨の日にあそこへ座れるのかな、いろんな偶然に感謝する気持ちは忘れずにいようと思う。店からかなり離れても来るときよりももっと気分良く歩いていた。いつもなら特別、用事はない。でも今なら、今日こそはあの大仕事をやってしまえる気がする。

 横断歩道を渡りながら、小雨の中へ気配を消して歩いて行った。