月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

12月 お使い

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「お使い」  文・表紙 夏萩しま

 

 

「これ、若いものよ、これを届けに行ってくれるよう」
そんなに若いというほどでもないが、師匠からすれば子供のようなものだろう。学校もやめ仕事もせず、時々こうして師匠の頼まれごとや小さなお使いをやっている。この両手で持てる大きさの段ボール箱は、歩いて10分もない同じ道に面したタマリンド住職のところへの届け物だ。10日に一度くらい、たいていは野菜や果物、師匠が庭で作ったものや漬け込んだものがほとんどで、運ぶだけだから散歩がてら行って帰り道は文字通り道草を食ってゆっくり帰る。何せすることが他にない。師匠も別段何か聞くというわけでもなく、タマリンド住職も訳知りな感じで、お返しの荷物など大きなものを託かることはない。ズボンのポケットに入るくらいの小さな包みを、
「これを秀葵先生にお渡ししてください」
と言って手のひらに乗せるくらいだ。

 いつものように門のところから
「こんにちわあ、青柳の使いでーす」
と声をしてさっさと縁側に回る。
「いらっしゃい、ありがとう」
タマリンド住職は端正な顔立ちのまま少しお歳を召され、日本語のイントネーションももう完璧になっている。どこ出身とか本当にどうでもいいことだなと思う、ここの暮らしに無理なく馴染んでいる。名前は変えないのかと聞いてみたことがあるが、変えてこれなのだそうだ。好きなものの名前をつけたかったという理由で、タマリンド。それがありなのかあ、何経だろう自由だな、と思ったものだ。
 縁側に腰掛け、お茶をいただく。
「今夜はオトメウサギ流星群が活発になりますよ」
いつもの流れ星の話だ。毎回違う名前で色々あるんだなあと思うが、夜には寝てしまうので、明け方近くによく見えると言われても本気で探してみたことがない。
「また寝てしまいますかね、ははは」と愛想笑い。
 それでも何度か夜中に目が覚めて、空を眺めていたことがある。流れ星は見えなかったが、夜空は濃く滲んで星は本当に瞬いて見えた。流れ星を見つけるために一点に集中しては見えない、のだそうだ。流れ星は天空全体に飛び散っていく。それは、星の群れの中にこちら側から突っ込んでいくから、だそうだ。明るい星に気を取られずに、暗い空をぼんやりと見ていると目の端にすうーっと光の尾が入ってきたとき気づきやすい、というものなのだそうだ。頭の中で星と地球が反転した。こっちから行くのだ。

「住職さんは今夜も流れ星を見るのですか?」
「皆の安寧を願うのでな、ふぁあ毎日眠い眠い」
キリのいいところで、小さな包みを預かって辞去する。師匠のところと造りは同じ民家だが、タマリンド住職の庭はいろいろな大きさの石がぽつぽつと置いてある。まさか隕石?流れ星を集めているのか、今度聞いてみようかな。
 いつ来てもタマリンド住職にしか会ったことがない。誰にも挨拶することなく帰る道すがら星の群れについて考えながら歩いていたら、師匠の家を通り過ぎていた。

 こっち側へ来るのは初めてかもしれない。道の先は白く霞んでどこまで続いているのかよくわからない。ちょっと行くと大きめの茶色い犬がいて、こちらへ首を向けた。
「べええええええ!」
用はないと言わんばかりに一喝された。
いや、こっちは用があるぞ、なぜワンワンじゃないのだ。
「あ、、、ヤギか?」
近づいてよく見ると、犬っぽいヤギが犬っぽい首輪でつながれて門番をしていた。そしてなんとそいつは瞬時に野生の跳躍力で襲いかかってくると、ズボンのポケットに鼻を突っ込んできた。
「うわっ」
ポケットを押さえて腰を引くと、タマリンド住職からの預かり物が、びりっと裂けた。
想定外に長い紐で繋がれていたヤギは、元の位置へ戻って、もぐもぐしている。
この家も師匠のところと同じ造りの家だった。縁側からヤギっぽい風貌の人が来るのが見えたので急いで引き返した。

 師匠に、ヤギに襲われた話をしたが、さして驚いた風もなく、タマリンド住職からの破れた預かり物を渡すと手の中で広げ、
「ああ読めますよ、3の六、乙女烏鷺、、、ご苦労さまでした」
と奥へ行ってしまった。もう一度家の前へ出てみたが、右も左もどこまで道があったのかわからないくらい濃い霞が迫っていたので、すぐまた家へ戻った。階段を上がるとき、八畳の間で碁石を並べていた師匠はこちらに気が付かなかった。、、、そう言えば碁盤に最初からある点は「星」というよなあ、と頭に浮かんだ。

 その日は早くから眠落ちてしまい、何層にも重なった星雲に翻弄される夢を見た。寝苦しくて目が覚めたが、またうとうとして今度は山羊座の流れ星にとめどなく打ちのめされる夢を見た。夜中すぎて眠りが浅くなり、ふとカーテンを閉め忘れた窓が明るく思えて起きてしまい、外を見る。3時6分だった。光の粒が星よりもたくさん揺れている、今までに見たことのない空だった。これが何とか流星群?よくわからないが、タマリンド住職は今この空を見ているのだろうか。
 気配を感じて見下ろすと、師匠が庭へ出て空を見上げていた。いい歳のバアサンだが、少女のような真摯な様子で月の無い明るい空を見つめていた。その姿は光の粒を全身で浴びているように神々しく見えた。
 空一面に、白い光が次々と現れ正面から後ろへ向かって走っていく。その真横に動く線はいったいどうなっているんだ?としばらく目を奪われていた。そして夜中に頭が冴えてしまい、ウサギとは烏と鷺、黒と白、つまり囲碁だと気づいた。師匠はまさに、乙女烏鷺、何年かに一度しか無い輝きを浴びながら自分の来た道行く道をはっきりと見据えているのだろうと推察した。不思議な夜空を見上げながらタマリンド住職の言葉を思い出し、暗い空を探してずっと見つめていた。こっちから行くのだ。たくさんの明るい線が束になって向かってくる、その光がどこから生まれてくるのか分かるような気がして、朝焼けに星が消えるまで見つめていた。
「あっ痛うぅ」
階下で気配がして、師匠が出したままにしていた碁盤に蹴つまずいたらしい鈍い物音がした。たんたんたんと柔らかい音で畳に散らばった碁石は、星座のように繋がって見えたのだろうか。かちゃかちゃと石をしまう音が聞こえて、あとは静かになった。

 

「これ若いもの、これを届けに行ってくれるよう」
徹夜明けで頭が重いのだが、師匠はしゃんとしている。昨日の今日でまた届けものとは?とぼんやりした顔をしていると
「ヤゲンさんのところへ、この反対側へ行けばすぐわかる」
「あ!あのヤギの家ですか?」
「ヤギではなく、ヤゲンさんです」
ヤギの家ならわかるが、今度は気をつけながら近づこう。小さい段ボール箱を抱えて右へ折れる。道の向こうは今日も霧が立ち込めていて先が見えない。10分も歩くとあの、犬っぽいヤギが見えた。まだかなり離れたところからゆっくり歩いて、玄関から離れたところから声を掛ける。
「こんにちわあ、青柳の使いでーす」
犬っぽいヤギの斜め前で目を合わさないように立っていたが、ヤギは目だけをすーっと横に向けて
「べえええ」
と鳴いた。こちらが身構えていると、奥からあのヤギっぽい人が出てきた。箱を渡すとき、ヤギは主人の後ろに隠れて横を向いていたが緊張しながら手渡した。ヤギっぽい人はその場で蓋を開けて覗き込むと、
「ふうむ」と言って、先へ向かって細くなっている顎髭を撫でた。
「縁側でお茶でも」
と促されて、師匠の家と同じ造りの縁側に腰掛ける。ヤギはお尻を向けているが、目だけはすうーっと横に向いている気がする。背中を向けるように座り直した。少し温かくきれいな黄緑色のお茶は美味かった、頭がスッキリしたような気がする。茶碗は小さいが、三回ほど注いで貰った。お茶菓子というものはなかったが、甘み、爽やかさ、香りがよく、茶菓子はなくてよいと思ったくらいだ。なんだか充分回復できたような気分で庭を見ると、背の低い木が規則正しく並んでいる。半分は黒い布で日光を避けていて、もう半分は深緑だが日光を浴びて銀色に光って見えた。よく見ると葉っぱの成育が違っているのがわかった。いろんな庭があるもんだなあ、と思っていると、ヤギさんから小さなメモを受け取る。ヤギさんは庭の木に手をやりそっと葉っぱを摘むと、両掌で揉んで鼻に近づけた。それからこちらに手を伸ばして鼻に近づけてきた。
「これは、お茶?」
今飲んだお茶の風味がしたのだ。つまりこれはお茶の木。お茶を自分で作っているということか。

 帰りも犬っぽいヤギに気をつけながら門を出る。が、なんとそいつはまたもや瞬時に野生の跳躍力で襲いかかってくると、ズボンのポケットに鼻を突っ込んできた。
「うわっ」
ポケットを押さえて腰を引くと、ヤギさんからの預かり物が、びりっと裂けた。想定外に長い紐で繋がれていたヤギは、元の位置へ戻って、もぐもぐしていた。

 師匠にヤギに襲われた話をしたが、くすくすと笑ってヤギさんからの破れた預かり物を手の中で広げ、
「ああ読めますよ、8の八、、、ご苦労さまでした」
と言った。あのヤギは懲り懲りだがもう一度あの家のお茶をいただけたら良いなあ、と思っていたら、師匠が背中で言った。
「お茶美味しかったでしょう、お家元ですからね、またいただくと良い」

 家の前に出て、左右を見回すと道は両端とも霧の中に消えている。この道に沿って、同じ家が並んでいて、それぞれに人が一人ずつ、自分の世界を作っている。そして自分だけが行き来して、何か運んで何か持って帰っている。この道の先には、また同じ造りの家が点々としていて、どこまでも続いているのだろうか。そして、あの小さなメモはなんだろう。数字が書いてあるらしいが、野菜などの方がオマケで、本当に行き来しているのはあのメモではないのか。他に自分のように運んでいる人を見ない。自分だけが運んでいるのだ。そして自分の中に何かと気づきがあるのも、そうさせるためにわざわざ運ばせているとも考えられる。何か大きな力が気づかせよう気づかせようとしているような、そんな気がしてきた。が、あまりにも漠然としているので考えるのに疲れてしまった。日の入る部屋で横になってしまうと徹夜明けの頭はとろけて深い深い睡眠にはまっていった。
 このときはまだ知らないが、景色は増えていく。次々と変わると言った方がいいかもしれない。とにかく、まだ何も始まっていないに等しかったのだ。