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10月 ぎりよういんりゅうとのご挨拶

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「ぎりよういんりゅうとのご挨拶」        文・表紙 夏萩しま

 


 義理要員家は、その苗字ゆえに日本国内ではあまり信用がないが、海外貿易という場では「技量WIN」という会社名で世界に轟く名門ブランドである。曽祖父から続く名家の跡取四代目のりゅうとは、立冬に生まれたので、立冬と書いて、りゅうとと読む。フルネームだと義理要員立冬となり、名前として成立しているかどうかが、ぎりぎりだ。子どもの頃は、ギリアウトとか、リュートが笛だからピーヒャラドンなどと呼ばれ、名前で遊ばれていた。父の転勤に付いて回るため同じ小学校を6年間に3度も転出したり転入したりしていたことで、仮用員とまで呼ばれたりしたが、育ちの良さゆえに、あははは、とか笑って流していた。実は、転勤先で家のことをしてくれていた婆やも姐やも現地の人だったので、日本語も半分くらいしかわからないまま過ごしていて、何となく流していたのではある。

 その義理要員立冬が、大人になりめでたく結婚の運びとなる。夏生まれのなつきとはお互い一目惚れだが、なつきの家は一般庶民だ。家柄は釣り合わない。逆から言うと、将棋も差さない少食のりゅうとはなつきの父からも母からも失格なのだ。さてどうするか、というとき義理要員立冬は葉多部夏生の目を見つめて
「王道でいきましょい、大丈夫んだよ」と言った。夏生も目で応えた。
 そしてその日がやって来る。

 決して広いとは言えない葉多部家の前に車が来た。約束の時間よりも2分早い。つまり車からゆっくり降りて、玄関前に迎えに出た母に「おはようございます!」といつものようにきっちりと発音して深々と礼をするところで、ぴったり約束の時間になるのだ。義理要員立冬とはそういう男だった。これでひとつ説明は要らなくなる。人というものはその振る舞いで人となりがわかる、実直な性格はその直線的な身のこなしからも知れる。
「さあどうぞ、中へ」
仕立てのいい濃紺のピンストライプのスーツはこの日のために新調した。いつものように気負わず着こなしている。玄関を通るとき、いつもの癖でなんとなく首を少し縮めるのは無意識のうちにしてしまうのだが、ぶつかるほど背が高いわけではない。三和土で腰を下ろし、革靴の紐を解いて踵を持って中に紐を落とす、もう片方もする。その間、母は立ったまま見ているが、すでに笑みを浮かべている。誰も急かすこともなく静かな時間が流れる。
「お邪魔します」と声をかけて深々と礼をしてから客間に上がる。父はさっきまでうろうろ歩いていたが、今は何気ない風で机の端に手を乗せて座っている。床の間の前に座布団を用意していたが、りゅうとは迷いなく床の間とは反対側の座布団の無いところに座ろうとした。母が脇の座布団を持って近づくと
「ありがとうございます」
そう言ってからその座布団に正座した。
父は黙って自分の座布団を持つと、満足そうに上座に座り直した。
 私と姉は縁側の見える8畳の間の端に母と3人で並んで座り、じっと次の場面を待った。この部屋に5人は近過ぎる。父は早くも待ちきれなくなったらしく、あぐらの足をしきりに組み直している。
 りゅうとは、提げてきた小さめの酒樽を机に置き、
「ご挨拶がわりにお持ちしましたん、これぞ我が家の近所で造られたる正直な美味い酒ですん、ぜひ召し上がってください」と一礼する。日本酒に目が無いというだけではあるまい、父は喉をごくと言わせて頷いた。母も姉も、りゅうとの言葉が少しおかしいことに気づき始めたようだった。

 ここからりゅうとの、義理要員立冬らしい発声が始まる。
「初めてお目にかかりましたる、わたくしは、ぎりよういんりゅうと、と申しますのです。生業は貿易をやらせていただいておりまして、日頃はお寺様のお手伝いをさせていただいておりますん、夏生さんと人生を共に暮らせりたいゆえ、この心は生涯変わりません、わたくしと皆さんと家族となってこれからお付き合いしていただきたいのでございますん、どうぞよろしくお願いいたしまする」
やった、言い切ってくれた、と私は誇らしい気持ちになった。短く、そして日本語がちょっとあやふやないつも通りの話し方も、りゅうとらしい。母も笑顔でりゅうとを見ている。姉は少しびっくりしたような顔だった。
 長い体を丸く畳んで深々と頭を下げ、念を送るように目を閉じたりゅうとは、たくさんの説明をしなくても、もう伝えることは全部発したという感じで、黙ってそのままでいた。言葉は通じなくても真心は通じると体験で知っている、それでもできるだけ丁寧にそれを言葉にするのが敬意だ、そう態度で表現している。  
 そして何かが通じたらしい。父がふと和んで母に声をかけ、りゅうとを見た。
「母さん、ビール持ってきて、りゅうと君は飲めるんじゃろ?」
「はい!飲みますです」りゅうとは元気よく顔を上げた。

 グラスと、よく冷えた瓶ビールを運んできて栓を抜く。りゅうとは素早く瓶を掴み、父のグラスに完璧な7:3のビールを注ぐ。それから母の前まで来て膝をついてビールを注ぎ、
「よろしくお願いします」
と頭を下げる。姉の前に来て、姉が
「私、車なのでごめんなさい、気持ちだけ」と遠慮すると
「じゃあ気持ちいっぱい込めさせていただきました、よろしくお願いします」と頭を下げた。それから私の前にまっすぐ正座した。いつもより大人っぽく見えた。
「夏生さん、これからわたくしたち家族ですよ、よろしくお願いだね」とビールを注いだ。そのまま席に戻ると、父が瓶に手を伸ばす。りゅうとはビールを渡してグラスを構えた。少し少なかったがたくさん泡が立ってちょうど良くなった。
「じゃあ何かな、これからよろしく、でえんかな、りゅうと君、今日はよう来てくれた、今日はええ日じゃな」
みんなが乾杯の仕草をした。

 それから宴会が続き、次々とつまみが出されて酒も並んだ。夕方になり、母は、
「あんたは明日に顔が浮腫んでたらアウトだからもう寝なさい」と言って私を部屋に追いやろうとする。
「お手洗いお借りしたいです」
姉が案内すると
「お義姉様にお手洗いなんて案内していたらていてすみませんです」りゅうとはペコペコ何度も頭を下げて、姉が台所に戻るまでペコペコしていた。いつものバタバタ鳥のような動きに姉も笑っていた。大事な日が無事に済んだようだ、今夜はゆっくり二人で話そう、とそう思った。そう思っていたのだが夜中過ぎても、りゅうとは布団に来なかった。客間からはずっと飲んでいる声が聞こえていた。

 朝方、声が気になって目が覚めると、客間ではまだお酒を飲んでいた。父もべろべろだが、りゅうともへべれけだ。何か話しているがろれろれで二人のあいだでだけ会話が成立しているらしい。すっかり意気投合しているのは喜ばしいが、こんなに最初から飛ばして大丈夫なのだろうか。一晩中つまみを作り酒を出し続けた姉は徹夜明けのまま、出勤したらしい。同じく徹夜明けの母は朝ごはんの支度をして運んでくると、酒宴の一切を片付けてお茶を淹れた。

「お義母たま、ごめんらはい、ご飯はすこーしにしてるらはい」
食卓につくなり、りゅうとは両手を合わせて唇を結んでいた。いつもは朝コーヒーだけなのだ。
「あらあ、炊き立てのご飯が美味しいのに、食べないの?」と渋々、茶碗のご飯を少し釜に戻す。引き返してくる母の手元を見て、私は
「もうその半分にしてあげてよ、つい今まで米のお酒を飲んでたんだからさ」と助け舟を出す。父は茶碗と箸を持ったまま、すこすこと居眠りを始めた。母はさらに渋々ご飯をお釜に戻して引き返してきた。
「ありらとごだいまふ、いたらきまぐ」最後は舌を噛んだようだ。改めて手を合わせてお辞儀をしたりゅうとを確認して、私は部屋へ引っ込む。

 振袖を着るのも今日が最後だ。念入りに整えながら、お気に入りのオレンジ色の花模様を纏う。飲むと車で帰れないから、わざわざ泊まりにしたのに何やってんだか。りゅうとのために用意しておいた布団の上に次々と着ていたものを投げてゆく。10分ほどで着付けてしまった。ありがたいことに顔は浮腫んでいない。少し化粧を直して準備はできた。今日は、御両家の義理要員家の方のご挨拶の日なのだ。今現在酔っていたらりゅうとが運転しては帰れない。姉は車で出勤したし、しょうがない、代行サービスでりゅうとの実家へ乗りつけることになった。手が空いている私が電話すると、いつもの代行さんがすぐに来た。

 玄関でまた丁寧に片方ずつ靴紐を結んで、静かな時間が流れる。まだ呂律の回らないまま、りゅうとは父と母にお礼を言って、父はふらふらしながら機嫌良く手を振っていた。母は、
「またご飯だけ食べにいらっしゃいね」と声をかけた。
そして本当に、りゅうとはなんと一人でご飯だけ食べに訪れて、母とも仲良くなっていたらしい。ご飯も、おかわりしたらしい。

 代行さんにキーを渡したりゅうとは、私のために後部座席のドアを開ける。私は腰掛けて左右の袖を膝の上に重ね、くるっと45°回って両脚を車内に収める。ドアを静かに閉じて後ろをまわると、りゅうとは反対側のドアから隣に乗り込んで来た。酒臭い、着物に臭いがつくなあ、と、もはや勝ち目のなさそうな今日のスケジュールを、虚ろな気分で辿っていた。
「いってらっしゃい」
母も感情を込めずに見送った。

 義理要員家のアプローチへ乗り付け、玉砂利の音が静かに響いた。出迎えのお手伝いさんに会釈して、大きな門をくぐる。千鳥足のりゅうとに先導されて、黒曜石の石畳の上を通るとき、振袖の模様が明るく映ったのをちらと確かめ、背筋を伸ばした。淑やかに歩くことに集中したまま息を詰めていた。大きな玄関の引き戸を開けるとき、絶対に当たらないのに、りゅうとはやはり首を縮めた。
 父上と母上のお座りになったロココ調の肘掛け椅子の前に大理石のテーブルがあり、真ん中に開いた穴の中で金魚が泳いでいた。あら、私と同じオレンジ色、とふと間抜けなことを思った。もう、脳が働いていない。とりあえず頭を下げて、どうぞと言われたかどうかも確かめずに、こちら側の塔椅子にかける。はあーーー。頭の中を風が通り抜けたようだ。もうだめだ笑っていよう。笑って固まっていよう。
 まだ完全に酔っ払い状態のりゅうとは陽気で下ネタに自分で受けながら、私のことを色々褒めてはハグする。私は、コノヤロー、と思いつつ挨拶のタイミングを取れないでいる。代行で乗りつけた時点でもう、めちゃくちゃだ、と思っていたが、こうして嬉しそうなりゅうとを見ているうちに、まあここまで来れたから充分だよね、となぜか落ち着いた。

「夏生さん、こんなやつと暮らしていけますか?いつもこんなですよ、こいつは」
そう言う父上の言葉には温もりがあった。海外出張にも必ず連れて行き、一緒に暮らしながら世界に通用する大人に育て上げたのだ。可愛くてしょうがないのだ。自慢の一人息子で、分身のようなかけがえのない跡取りなのである。そんなことを言うなら、私だって!
「だいたい存じ上げております」
「そうですか」
「あはははは」
思いがけず父上と私の笑い声が高らかに重なった。私は確信を持って前を向いた。私だって大好きで唯一のりゅうとを間近で見つめていたいのだ。
「りゅうとさんのすべてを大切に想います、私の方が少し長生きしてぜひ介護をさせていただきたいです」
三つ指をついて頭を下げた。りゅうとに倣えば、言葉が直接的に通じなくても何かが伝わることを信ずれば良いのだ。
「あらまあ、すごい覚悟だこと」と母上が声を上げ、今度は3人で笑った。この劇的瞬間を、りゅうとだけが記憶していなかった。広縁の板の間を舞台に見立てて、小唄を鼻歌いながらもつれる足元で女形を舞っていたのだ。
 このあと軽い酒宴になったが、りゅうとも流石にその頃にはもう私のそばで横になり、肘枕で寝息を立てていた。飼い主の足元にくっつく大型犬のように、信頼に満ちた顔だった。あ、またたんこぶできてる、いつのまにぶつけたんだろ。顎の先の治ったばかりの傷跡の横がぷくっと膨れている。この無言の時間は意外と長かったらしい。りゅうとを愛おしげに見つめる私に、父上も母上も気づいてらっしゃったようだ。

 言うまでもなく、両家の婚儀はつつがなく挙行された。そしてこの2日間の出来事は語り草となり、義理要員立冬の歴史となった。主役の本人は半分も覚えていないどころか、何も狙わず自然に振る舞っていただけなのだが、すべてをうまく運んでくれたのだった。心根の素直な人間に邪悪な計算は要らないのだということを証明して見せた、これが、りゅうとの義理要員立冬らしさであった。