「ヤグルマギク」
文・表紙 夏萩しま
幼馴染のアサギは、女の子にしては大人しい方の、どちらかというとよく考えてから返事する子だった。僕らの近所は子供が多く、誰彼こだわらずに混じって遊んでいて、その中にアサギもなんとなくいた。缶蹴りとか、色鬼とか、いつのまにか一緒にやって、畦道を歩きながら花を摘んだり、タンポポの笛を吹いたり、蛙を捕まえたり、雀取りの仕掛けを作ったり。誰かが始めた遊びをみんなで真似して遊んでいた。アサギは自分から話しかけることはなく、いつもじっと聴いていることが多かったが、みんながはしゃいでいるときは楽しそうに笑っていた。だんだん学年が上がっていくと男子と女子は別々に遊ぶようになって、アサギとも遊ばなくなった。
小学校6年の新しい教室から運動場へ出る靴箱のところで、久しぶりに見かけたアサギは、髪を長く伸ばしてひとつに結び、細いまま背が伸びていた。目が合ったとき少し笑ったような気がして、懐かしい気持ちになった。僕も目の奥で笑ってしばらく見ていたら、ちょっと下を向いてから早足で歩き始めて、くるっと振り向いた。長い髪の毛が細い体に巻き付くように動いて、風になびいて背中で止まった。その細く揺れる感じを目で追っているとき、その後ろに広がる空色の空にアサギはとてもよく似合っていると思った。
チャイムが鳴って時計を見ると、昼休憩の終わりだった。アサギの名を呼ぼうとしたが、靴箱に押し寄せてくる同級生に紛れて見えなくなっていた。
中学生になり、運動部に入ってひたすら運動場を走っているとき、本を提げて下校するアサギを時々見かけるようになった。校則通りに髪をおかっぱにして、ますます丸顔に見えるアサギは、相変わらず細長く、髪が揺れるのと同じ感じで揺れて見えた。
中3で部活を引退して、僕はなんとなく将来のことが不安になった。アサギに聞いてみたくなったのは、なぜなのかはわからない。よく考えてから答えてくれる、と思ったのかもしれない。変わらぬ態度で笑って欲しかったのかもしれない。なんだかわからないけど話せたらわかる気がして、待つとはなく会える日を待っていた。
校庭の金網のすぐ外側に、空色のヤグルマギクが咲いているのを見つけた日、校門の近くでアサギに出会った。いざとなるとどう言っていいのかわからなくなり、中途半端な顔で斜めを見ていたら、アサギの方からゆっくりと歩いて来て顔が見えるところで立ち止まった。真顔で少し首を傾げているからおかっぱの右の先っぽが唇についている。アサギは左手の指でそれをそっと払って、もう一度首を傾げた。僕は思わず
「大丈夫だ」
と、だけ言った。アサギはこくっと頷いて、それから早足で歩いて行って、一度だけ少し振り向いて、それきり歩いて行ってしまった。なぜかそれだけで気持ちは落ち着いた。
中学を出て街へ働きに行って何年もたってから、アサギが中学を出てすぐに奉公に出され実家も引っ越してしまったこと、アサギは小さい頃から耳が聞こえなかったことを知った。不思議なことに、そうであったとしてもあのときの言葉はしっかりと届いたと思った。ずっと一緒に遊んでいて、聞こえないから伝わらないと思ったことは一度もなかったからだ。
僕はいつかアサギに会える気がして、今も道端に空色のヤグルマギクが咲いているのを見つけようとしている。街にはそんな道端の草も無いが、つい探してしまう。まだ大人になっていない僕の心の中は、風が吹いていて空色が揺れている。
「幼さを無理に捨てないで
小さなまあるい飴玉みたいに
ポケットに納めとけば
いつかまた活躍するときが来ます」
矢車菊の空色
5月の風に溶けるほど
わかりました、と揺れては戻る
細く長い首、まあるい笑顔
いつ思うときも
あの初夏の中にいて
未来永劫、さ揺れては戻る
ただひとつの空色、ゆうらりゆらり