月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

9月  ロシアケーキ

 

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「ロシアケーキ」

     文/ 夏萩しま  表紙/ Aruzak-Nezon

 


 宝石にはとんと興味がない私だが、昔、東南アジアの田舎の宿で、ルビーの小さな石をふたつ買ったことがある。夜の闇に紛れて少年がやってきて、小さく折った銀紙を秘密めいた様子でそっと広げた。部屋の電球にかざすようにしてみせた透き通る赤色、その付加価値で欲しくなったようなものだ。旅の高揚感もあったし、それまで誕生石でさえ全く持っていなかったという事実も、ここで巡り会えた気持ちにさせた。帰国したらピアスにして、人生初の宝石を身につけるのもいいかな、とそのときは思ったのだが、いくら損をしたのかも気にしなかったし、帰国したら忘れてしまってそれきりどこへやったのかもわからなくなった。
 結局、宝石には興味がないまま過ごしていた。父から成人の祝いにパールのネックレスをもらったときも、何かのときに身につけなさいと言われたが、何かのときがないまま、娘の成人の祝いとして譲ってしまった。

 美しいものが嫌いなわけではないのだ。むしろ思いがありすぎたのかもしれない。宝石は、身につけるにふさわしい人がふさわしいものを身につけるものであって、背伸びしたり着けた石にすっかり負けているようでは、格好が悪いと思っていたのだ。それと、魔法の石を持ったばかりに運命が狂ってしまうようなお伽話を、とてもリアルに信じていたこともある。実は小さい頃から宝石には警戒心があったようだ。 

 代わりにというか、宝石のように美しいものは日々集めて楽しんでいた。開いたばかりの蕾、露ののった草の葉、虹色の小石、水たまりの波紋、刻々と変わる夕焼け、月の姿、かすかに動いて見える星たちが星座という連なった輝きだということ、色鉛筆で重ねた何とも名前のない色、薫る風、目を閉じるとおひさまが粉々になって瞼に花火のように散ってゆくのも。みんな子どもにふさわしい些細なもので、胸に持っておけるものだった。

 幸いにも娘は、紙を切ったり毛糸を通した工作で私に誕生日のアクセサリーをプレゼントしてくれるように育った。不相応な宝石は持たなくても、身を飾る特別な楽しみを共有できた。だから娘が、あのパールのネックレスを衣装ケースの中へぽんと入れたきりにしていることも、私としてはその気持ちがわかる気でいる。

 時たまだが私も工作をして遊ぶ。どこかで見かけたなんとも言えず好ましいものが頭の中でたくさん貯まってきたころ、皮や布や毛糸や接着剤、粘土、絵の具などから必要なものが頭の中心に集められ、あれ作ろう!となるときがあって、急に作りたいものを作ってしまう日があるのだ。帽子や服のリメイク、鞄のペイント、小さな額に入れる絵、ときにはショコラプディングや堅焼きのシュークリームになることも。完成度はまあまあだけれど、すごく欲しいものを作っているときや、すごく欲しいものを自分だけのために作ったということが、何にも増してキラキラと輝くような大切なものに感じられる。

 食べることも大好きなので、口の中にあるはずのものが頭の中へ広がって音楽にのって踊り始めると、夢見心地になる。異国情緒のあるものには特に目がない。これは船に乗っていた叔父さんが、私のためにいろんな国のお土産を、特にお菓子を、買ってきてくれていたことが絶対に関係ある。私は知らない国の知らないはずの味で初めから育てられていたのだ。航路によるのだろうが中でも断然多かったのが缶入りのクッキーで、ギザギザの絞り金で輪を作った真ん中に濃く透き通った赤色がぺとっと収まったものだった。祖母が缶を覗き
「ロシアケーキじゃな」
と言った音の響きも私だけのための特別な名前のように聞こえた。それはかっちりしているようでそうでもなく、焼き目が縞模様になって最後くっと上がってからそっと落ちたような尖った様子が、それぞれ個性を出しているような魅力的なクッキーだった。周りはさくさくボロボロで甘すぎるし真ん中は酸っぱくてこんなにはいらないという感じ、でも一個食べるとすぐに欲しくなる中毒性を持った実力のあるクッキーだった。紅茶を飲むときは、いつもロシアケーキがあるといいなあ、と思うし、たまにしか見かけないが見つけるとつい買ってしまうのは大人になってからの贅沢だ。

 ロシアケーキは作ろうとしていなかった。味噌だの米酢だのがあるこじんまりとしたキッチンでは、あの味にならないだろうと思っているからだ。お菓子の中にはその国や町の水や空気が練り込まれている。スパイスや粉とかが同じでも補えない。真ん中のとこにじわっと染みている赤い色も収穫時期で色味が違うはずだ。そう思ってオリジナルに敬意を払っている。ふと見かけたときに買う特別な楽しさも残しておきたいんだと思う。

 最近インスタで、ロシアケーキのブローチを見かけて、すぐさまいろいろ調べてみたが、取り扱い商品ではございません、ということらしい。いいなあ、欲しかったなあ、と思っているうち、またあの頭の中で材料がくっつき始めた。その日のうちに樹脂粘土で本体を作り、プローチ用のピンは明日買いに行く。紅茶を飲みながら、真ん中の赤いところはどう細工しようかな、と考えているこの時間がかなりいい気分で過ごせている。食べれなくてもいつもそばに置いておけるロシアケーキを自分で作っている、キラキラした時間が輝いている。そう、あのロシアケーキをとうとう作ってしまうのだ。形や質感は完璧に再現できるだろうなと思う。美しいルビー色のプローチにして誕生石を身につけるような気分もいいかもしれない。何年も経って、やっとその楽しみ方が想像できるようになった。