月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

10月 最上階のパラソル

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「最上階のパラソル」  文・表紙 夏萩しま

 


 濁った空を背景に、わりと新しめのマンションが突き出している。最上階はワンフロアすべてが、このマンションの持ち主の大家さん宅なのだろう。半分は住宅で半分は庭になっている。地面にあるのと同じようなステンレスの柵がぐるっと巡らされて、そこだけ見たらどのくらいの高さなのかわからないくらいに、庭木や石も並んでいてかなりの広さだ。ここからは見えないが池さえもありそうな広い庭だ。ベランダのサッシも横幅があり、地上から見上げても空中庭園に面した窓はとても大きいのがわかる。
 今日は天候が怪しいのだが、その広い庭へ大きなパラソルが運び出されて、今まさにばっ!と開かれたところだ。上空はこの辺りよりも風が強いのか、その瞬間パラソルは大きく左右に揺れて、大人が二人で押さえている。その様子でパラソルが直径3メートルはありそうだとわかる。テーブルや椅子や、ビニルプールなども並べられて、どうやら孫たちも集結してのバーベキュー大会ということらしい。
 それにしても、空はどんどん濁ってくる。灰色にこんなに幅があったのかというほどのグレースケールが波のように重なり、横へずれながら重なってゆく。太陽はもう見えないのにパラソルの黄色い部分が少し光って見える。パラソルの下は暗くなってよく見えない。あの高さにはまだ日差しがあるということなのだろうか。建物ごと暗く沈んでゆく街とは裏腹に、最上階の宴会はライトを浴びたステージにさえ見える。別世界のできごとは賑やかに進行しているようだ。
 見上げていた顔に、雨粒が当たった。ひとつ、またひとつ、小さな粒だが雨は降り始めた。そろそろ家に入ろう。最上階は大きなパラソルがあるから大丈夫だろう、と目の上に手で庇を作って眺めた。
 とそのとき、ふわりと煽られてパラソルが庭を離れた。
あっ、と思わず声をあげたきり、パラソルの行方を追った。あの高さではここら辺とは雨風の動きが違うのか、パラソルはゆっくりと風をはらんで浮いている。テーブルや椅子にあった小物や帽子などが、カラフルなブロックや紙吹雪のようにパラパラと散っていく。子どもたちは柵のギリギリまで手を伸ばして、落ちてゆく大事なお人形やゲームなどを追っている。その子どもたちを大人たちが抱えて踏ん張っている。意外なくらいゆっくりとゆっくりとパラソルが落ち始め、また煽られて回る。

 一瞬の閃光。稲妻がその緩慢な動きを鮮やかに射抜いた。きっぱりとした問いかけが、雷鳴と共に頭を突き抜ける。
何が大切ですか?
ひとつだけ大切なのは何ですか?
今、何を失くしたくないですか?
なんと答えるのだろう。たくさんのものがパラパラと舞い落ちる中で、大きなパラソルが落ちもせず回っている下で、手を伸ばして、抱きかかえて。何を掴んで意思を持って手離さずにいるのか。
 いや、自分は?答えることができるのか。ざわざわと不安感に支配されそうになりながら、この光景を見てしまった自分にはどんな答えがあるのか。もはや豪雨になった地上で、ただびしょ濡れになって動けずにいる自分に。回答を口にするのを待っているように、パラソルはいっこうに落ちる気配もなくゆっくりと回ったり下がったり煽られて舞い上がったりを繰り返している。何を答えれば、、、
 あ!左手にしっかりと握りしめ、腹のあたりに押し付けて濡れないようにかばっていたものがある、携帯電話だ。これがなければ、いやこれさえあれば、とりあえずどうにかなる。答えの発見とともにパラソルはくるっと回って大きく笑って見せた。バカだねえというように。雨風は止み、頭と心の中のざわざわも止んだ。パラソルは笑った口の形で揺れながら初めてだんだん落ちていった。