月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

8月 夏休みの日記

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「夏休みの日記」 
  文・表紙 夏萩しま
  詞・お話 Aruzak-Nezon
 

 

   

 

 

「日傘」
 文 夏萩しま

 日傘の下から白い手だけを出して、笑うようにひらひらと振って見せる。その仕草だけが周りから浮いて輪郭がはっきりしている。眩しくて色跳びしている街の、下半分は頼りなく滲んでいる。ビルも、車も、夏着物の足元も、同じ水面の波紋となって揺れ続けている。
「旬ちゃん、こっち」
頭がぼんやりするほどの真昼、汗が流れながら熱くなって顔を伝う。耳の中までぼわんと塞がるような熱気の中で、その声だけが軽くて涼しげな響きを持っていた。
 夏子さんの手からタオルを巻いたボトルを受け取ると、芯にまだ氷を抱いている液体の冷たさを頼もしく感じた。先に頭と首の後ろにボトルを当てる。意識が戻ってきたようにはっきりしてくる。ふうーー、と息を吐いてからボトルに口をつけ、舌の奥でどんどん蒸発するように水分が消えてゆくのを、はっはっと息継ぎをしてから改めて流し込む。やっと飲むという状態になる。どくどくと煮えた存在なのは自分自身で、周りと同じ温度に上がっているのが改めてわかる。
 その間、夏子さんはずっとそばで静かに見ていた。
 急に色彩が遮られ涼しい風が流れ始めた。ボトルを離して目を上げると、日傘が差し掛けられていて、小さなレース模様の縁がついた黒い楕円形の中にいた。風は日傘のすぐ内側をさらさらと動いていて、さっきまでの炎天下の空気とは明らかに違うものだった。傘をさして日差しを遮っているだけでは、着物は暑いだろうと思っていたが、案外涼しかったのか、と気づいた。
 夏子さんはまさに涼しい顔で袂を押さえ、少し背伸びしながら日傘を差しかけていた。いつのまにかこんなに大きくなっても、今だに夏子さんは変わらない。面映いようで、背中を向けて最後の数滴を飲み干すと
「ごちそうさま」
と言い終わらないうちにボトルを押し付けて離れた。日傘に入る前の分厚い空気の塊にガッチリと捕まえられ、一瞬目が眩む。光の粒が溢れて斜めに流れた。

「旬、交代だ!」
とグラウンドから呼ばれて目を開けた。そのときはもう、暑さも涼しさも何も感じていなかった。ただ真っ直ぐにマウンドへ向かった。

 

 

 

 

無花果
 文 夏萩しま         
            苦い汁は
          夏休みのにおい
    キリボシカミキリと競争で
        熱い枝の奥深く
     けばけばの葉の後ろ
   今年一番のご馳走を求めて
              突入

 

 

 


「熱帯夜」
 文 夏萩しま

蒸気に満ちた夜が
呼吸するように訪ねてくる
カーテンは動かない

窓から覗き見える多肉植物
かすかな夜風に重たく応えるかと
瞬きをこらえても
動かない

頭から水を浴びたいのだが
送り出されてくるのは
昼間の長さだけ熱くなったままの水

原型を失ったチョコレートは
口に入れる前からわかるほど
自分と同じ温度に違いない

そういえば
熱さの充満したトマトは
畑で歯を立てた瞬間
口元で炸裂したのだった

真夏のエネルギーは
過剰になって
行き場をなくし
真夜中までも翌朝近くまでも、そのまま

手探りで水中のような空気を掻き分け
ブーンと唸る冷蔵庫まで辿り着く
一番手前のアイスクリームをとって
とりあえず頭に乗せる

そして
この戦いはまだ続く

 


 

 


「氷ゼリー」
 詞・曲 Aruzak-Nezon

やがて指に伝う
予感に満ちている
ここに無いものを
先廻りで見てしまう

気づかないうちにも
心を弾くような
冷たく痛いもの
私に、こんなに

ちゅりんちゅろん
涼しそうに響く
ちゅりんちゅろん
懐かしくて
泣けるかも、少し

七草の模様
浴衣は少し苦しい
桐の下駄をわざと鳴らして
歩いていた

雨は滴残し
川風が優しく吹いてく
熱い頭と胸を
なだめながら流れた

ちゅりんちゅろん
紙巻きストローの
ちゅりんちゅろん
もう聞こえない音を
ちゅりんちゅろん
小さく口真似してみた


chue ling チュェ リン
萩. 聆  萩の花、聞く

chue ling チュェ リン
萩  零  萩は、無い

chue lung チュェ ロン
萩  隴  萩の咲く田舎の丘

chue lan チュェ ラン
萩  藍 萩は、海の青色


約束もせずに、一人で花火を見にゆき、会えるはずもなく歩いて、歩いたのはもう、忘れたつもりのことを覚えたままの私に気づくためだった。どうにもならないことを、どうにもできないでいるのは、子供だからで、大人になれば何かできるのかもと、それも遠い話だけれど。
今は、ただ想う。ただ想うことだけで自分を支えきれなくなる。夜は優しく、私をそのままにしておいてくれた。ここに動けないでいる、そういうときもあると。


   雨きらきらと
   流れし花火
   片思い

 

毎日毎日、変わり続けているんだって、そのときはわからない。振り返れるところまで行けばわかること。

 

 

処暑
 詞 Aruzak-Nezon

だけどもう知ってる
解けてたなびく今日を
行き合いの空高く
分け入れば風白く

信じたくていること
たったひとつ約束
いつも笑っていてと
預けられたから

雨の季節、咲き始め
夏を待つ気持ちと同じ
ひとつ揺らす
ふたつ揺れる

 

 

 

 

 

「夏の読書」
 文 夏萩しま

 夏休みは朝起きたらすぐ涼しいうちに本を読む。30分くらいあっという間に過ぎる。とっくに上がっている朝日もだんだん鋭い光線に変わってくる。キリのいいところまで、と続きを読んでいると、いつの間にか汗が浮かんでくる。だいたい50分、学校の授業よりもすぐに時間が経つ。本を閉じて、あえて熱いお茶を淹れて朝ご飯にする。
 読むのは3冊くらいいろいろなジャンルで出しておいて、朝の気分でひとつ選び、日替わりで並行して読む。案外忘れているもので少し戻ったりしながらゆっくりと読む。夏休みの間にこうして、結構な量を読んでしまう。毎年こうする。朝から頭がスッキリするような気がして続けている。
 読書の後に朝ごはんを食べると読んだ内容を忘れてご飯に集中できるのが不思議だが、食後に散歩するとき、本の中の言葉がいくつか浮かんで何かの意味になる。それも帰る頃にはおおかた忘れて、自分の中に何かはっきりしないものになって沈殿している。
 午後に熱いコーヒーを飲む。暑い盛りにはモノを作る。絵だったり音楽だったり文章だったり、衣装の直しや料理の下拵えだったりもする。汗が流れても気づかないくらい集中する。いつかの何かが自分の中から湧き出てきて、新鮮な気持ちでそれを形にする。その後、シャワーをして少し横になる。
 頭が冴えていたらまた本を読むが、だいたいうとうとしている。夢の中に朝の本の中身が出てくることもあるし、自分の作ったモノに変身していることもある。
10分くらいなのにかなりのボリュームのストーリーが折りたたまれていることがある。それも起きるとほとんど忘れている。喉がカラカラなので果物を食べたりジュースを飲む。
 夕方涼しくなってから買い物に行く。服を念入りに選んで、髪はそのまま。ぼさぼさというのだそうだ。お気に入りの革靴で、できるだけ歩く。荷物を抱えて歩くのは嫌いではない。どう見えているのかな、と考えてちょっと可笑しくなる。いい歳をした男が、惣菜ではなく食材を買って、嬉しそうにしているのだ。浮いているだろうか、それもいい。買い物はちょうど両手で持てるだけ。
 冷蔵庫の前で荷物を置いて息を整える。いい運動になった。手足と顔を洗ってから着替えて、ソファで伸びをする。今度は夜用の本を3冊の中から選んでしばらく斜めになって読む。1時間くらいすぐに経つ。気になる単語や数字をメモして、もう少し読む。キリンとシマウマが寄ってくるのでソファを少し空けて端に座り直す。並んで座って少し話をしてから、ベッドに行って横になる。キリンとシマウマはソファを占領して飛び跳ねて遊び始める。
 いつのまにか眠っていた。自分がライオンだったことを思い出して、さっきのキリンとシマウマを食べとけばよかったな、と思う。でもお腹いっぱいになるからどちらかにしたほうがいいか、と思い直す。考えているうちにサバンナに太陽が昇る。窓が明るくなってきた。新学期まであとちょうど半分。研究室のエアコンは壊れたままだろう。ベッドの下からはみ出したふたつのしっぽを踏まないように、そっと降りて、カーテンを半分開けてからソファに移る。
 夏休みは朝起きたらすぐ涼しいうちに本を読む。