月毎よむよむ

月毎の、お話と絵本

12月 冬至の絵本

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冬至の絵本」 

 文/ 夏萩しま  表紙/ Aruzak-Nezon

 


  ラジオの仕事でその街を訪れ、友人の家に泊めてもらうことにして、二人で夜の街に飲みに出た。
 酒樽にスポットライトが当たったような店内の設え、マスターとの距離が近いそのお店で、常連さんらしい人が一人和んでいた。低めにこもる鼻声で少し早くしゃべる癖があり、見た目のまま日本語として入ってこない。でも終始笑っていて、マスターも相槌を入れては笑って、ここへはよく来るんだろうなとわかる。聞いているうちに少し耳が慣れて、関東と四国を頻繁に行き来する仕事らしいことと、イントネーションが違うので聞き取りにくかったのだとわかった。何杯か飲んで緊張が解けたころ名刺交換礼儀作法ごっこをして、お互いの呼び名を確認してから三人で河岸を変えることにした。マスターに教えてもらったカクテルの美味しい店を目指して初めての街でさっそくハシゴを楽しむ。
 カラフルな瓶が並んだ棚が本屋さんのように縦長な店内で、さっきの彼はマイタイ、友人はプルーハワイと順当なところを頼んだ。甘くないものが欲しくなり、シェリーのロックを頼んだ私に、当然、
「ええーーーっ、カクテルの店にきたのに?」
と空気が読めないやつに対して異議があがる。
「2杯目はアイリッシュミストをいただきます」
と真面目な顔で答えたら
「ええーーーっ、なんでそうマニアック」
と狙ってないのに大袈裟に突っ込んでくれたので、場が和んだ。ありがとう、ハカセ
 ハカセというのはさっきの彼。魚のことにやたら詳しくて、いろんな海のことを知っているらしい彼を海洋博士、長いからハカセと呼ぶことになった。なんとなく語呂が悪いというだけで採用されなかったが、どちらかというと大事な方の海洋が消えた。

 

 

 都心の近くで後輩の子と仕事があり、早めに切り上げることにしてハカセと酒場で待ち合わせした。簡単に2人に紹介してすぐ、ケーブのようなコンセプトの店の、造りつけの小テーブルにつまみを次々に並べて、ビールやらアイルランドの薬酒やら飲んでは景気のいい話をしていた。ような気がするが、バブルの只中だったので中身のあることは言ってないような、何を話したか覚えてない、バカ話に終始していたのだろう。一緒にいた子は、私が年上の男性エリート社員(?)を完全に言い負かしていたと称賛したが、なんせ覚えていない。ハカセは相変わらず鼻声だったが、他の客の声がこだまする中で意外と聞き取れたという記憶だけがある。
 食前酒が済んだので(⁉︎)音楽を聴きに行こうと、ハカセが立ち上がり、こっちがメインだったらしくすぐそばの店に移動した。
ビートルズを聴こう」
と言って入った店には軽いラテンが流れている。しばらく白けた空気が流れて、どうやら間違えたらしいということがわかったが、三人ともすでにかなり飲んでいたし、行きたかった店のことはハカセしか知らない。
「やっぱり店出る?」
と聞かれた時、水が運ばれてメニューが置かれた。
「ここでいい?」
遠慮がちに聞かれたとき
ハカセがいいなら、もうなんか動きたくないかな」
という気分だったのでそのまま言って、私たちは、いーよいーよと笑っていた。
「ちえっ、ビートルズはどこなんだよ」
残念そうにしているハカセの前にステーキ肉がひとつサーブされたときも
「こんなに食えねーよ、残していいからな」
と気配り半分、八つ当たり気味に肉に噛みついていた。そこはステーキの量り売りの店で3人とも一番小さいのを頼んだのだが、付け合わせの山盛りのポテトフライやピクルスボウルが遠慮なく運ばれてくる。みんな酔いが覚め始めてきたようで揃ってビールを注文した。ヤケ気味にグビグビ飲んでますます腹一杯で食べれなくなってしまい、おかしくてまたみんなで笑い始めたのだった。

 

 


 イベントの研修で上京することがあり夕方から少し時間ができたので
「飲もうよ」
と連絡したら、ハカセは先輩に車を出してもらって横浜へ連れて行ってくれた。小さい頃来たことのあるチャイナタウンの匂いが懐かしくて、そこが港町の気風だから好きなのか、単純に異国感があるから好きなのか、とにかく初めから気分が良かった。先輩が車だったのでお酒抜きだったがよく喋ってよく笑った。
 夕方からライトアップされる時間に合わせて橋を渡ってくれて、シャレで小田和正を流してくれたときは爆笑してしまった。橋の途中で(‼︎)片輪を寄せて車から降りると、思った以上に横風が強く吹いていて、みんなバッサバッサになっていることがおかしくて喉が冷たくなるほど笑った。先輩が雰囲気のあるポラロイドカメラを構えて
「はいこっちこっち並んで入って」
と声をかけたとき、ハカセは風上に立ってくれたのだけど、体が細長すぎて風が強すぎてなんの足しにもならない状態だった。二人とも前髪が全部あがってしまい、思い切り目をつぶって口も食いしばって斜め気味の状態で、しかも先輩は笑い過ぎて手ブレが最大のときにわざとシャッターを押した。
徐々に浮かび上がってくるポラロイド写真の像を待ちながら、三人で最悪の写りを予測してあれこれ言い合った。最終的に落ち着いた写真に揃ってため息が出る。
「あーーぁ」
と下がったあと
「ひどいなー」
「誰なんだよこれ」
「地球史に残るね」
と散々笑ったあと、私に
「はい、お土産」
と言って渡してくれた。これは早めに処分しなければと思った。

 

 

 仕事を辞めてから、東ヨーロッパへ行こうと計画をしているとき、最初の三人でまた飲みたいねということになった。フライトの前夜、空港に近いハカセの家に泊めてもらうことに勝手に決めてから計画を伝えると、
「俺メシ作らないけど夜は近くで飲みながらでいいかな」
と快諾してくれた。
 ハカセの家はロフト付きの小綺麗な部屋だったので気分が上がってしまい、無礼にも私はすぐさま梯子を駆け上って
「私ここ〜」
と一人の空間を占拠すると宣言した。
「2人は下で離れて寝てね〜」
といらないことまで言っといた。

 

 


 結婚して子どもが生まれたことをハカセの国内の住所に知らせると、しばらくしてロスアンジェルスから小包が届いた。男の子用のド派手なカラーリングの水鉄砲だった。カードには
「例のブツを送りやしたぜ、フッフッフッ」
と、検閲にかからなくてよかったわねとしか言えない内容を、小学生くらいの字で書いてあって、ずっとこの調子なんだなと、しばらく笑えてしかたなかった。

 

 


 電話が来た。
「オネーサン、」
と相変わらず年上のハカセからそう呼ばれていた。
「オネーサン、ポトフの作り方、教えてよ、今、時間ある?」
と。たまたまゆっくりしてたので
「いいよー、材料何ある?」
と聞いてから、手順に沿って説明していった。待ち時間もそのまま一緒に待って、ポトフの手順をポトフができるまでの時間をかけて説明しながら。合間には近況とか音楽や海の話をしていた。
「砂の上を歩くとやっぱり膝にくるよ」
とか、
「フロリダに行く」
とか。ハカセは相変わらずちょっととぼけた感じで笑いながら、趣味だか本業だかわからないくらい詳しく魚の話をして、私はポトフができあがるまで4時間半ほど受話器を持ったまま笑いながら聞いていた。

 

 

 バレンタインデーの切手でマンタの絵葉書が届いた、南の島にいるらしい、住所は短期レンタルのヴィラのようなところのようだった。セーリングなのか潜るのか私は知らないままだ。魚に詳しいから釣りをするのかなと思ってたくらい。わからないけど何かの準備をしていた感じだった、夢は叶ったのかな。

 

 


 ハカセから電話が来た。
「オネーサンと故郷が同じ人と結婚することになった」
いつも通りの感じで、今ではもうすっかり聞き取れるようになった声で話はよくわかった。
「おめでとう、楽しく暮らしてね」
とお祝いを言った。

 

 


 クリスマスの飾りやカードや写真が入った箱は、一年に一度この時期だけ開ける特別なものだ。何年分もの気配が大人しく記憶になって収まっている中から、クリスマスの飾りをあれこれ取り出して、ブロックや子どもと一緒に作ったおもちゃなどを見つけていちいち微笑んでしまう。気に入ったものをとっておいたはずなのに案外忘れているもので、一年に一度思い出すこの愉快な時間は過去の自分からのプレゼントかもしれないと思う。その中に、あの名刺やポラロイドや電話番号のメモ、水鉄砲とポストカードはいつからか失われている。けれども、箱を開けると一番に立ち昇ってくる懐かしく淡いイメージを私はまだ大切に持っている。
 ハカセと私がお互いに地球の上を飛び回っていたころ、地球を構成していた電子と電子のように短い間に少しだけ近づいて、それからはそれぞれの軌道に沿って元気よく行ってしまった。あれから接点はない。その実際には見えないもの、現存しようもない希薄で軽い香りのようなものだけが何年もかけて小さく小さく結晶してゆく。この愛らしい物語を慈しむ季節が、今年もまた来る。